Archive for the ‘サイエンスカフェ’ Category

土屋有里子准教授 「〈あの世〉の光景-文学表現から考える-」

第68回サイエンスカフェ 2014年12月20日(土)

講師 : 土屋有里子先生

テーマ : 「〈あの世〉の光景-文学表現から考える-」

サイエンスカフェで土屋先生の講演を聞くことになった。私は初めてサイエンスカフェに参加したので、当日にお菓子や飲み物付きとあって、いい雰囲気で興味深い講義を聞いているのは幸運だと思う。

ご講演では、『古事記』の世界を始め、『万葉集』の和歌や中国的な仏教説話集『日本霊異記』や『今昔物語集』や『往生要集』など様々な書物を用いて、<あの世>の光景を文学表現からご紹介された。古典文学の『古事記』には黄泉国が地下ではなく、「黄泉ひら坂」の向こうにあると受け取られる。中国の道教には泰山府君の説がある。仏教が中国に伝わった前に、人は死んだ後泰山府君のところに行って審判を受ける。このように、日本にしても、中国にしても、元来黄泉国は地下ではなかった。極楽往生に関する重要な文を集めた『往生要集』に地獄の世界を詳しく説明している。

死は誰でも回避することのできない宿命だと思う。人が死んだらどこに行くのか。あの世はどんな世界であるか。誰でも考えたことがないと言えないだろう。今回のご講演を聞くことができたのは幸いだと思う。

姚巍巍(ヨウギギ)(本学人間文化研究科前期課程院生)

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ジェームズ・バスキンド先生 「日本思想史における不干斎ハビアン-位置づけの問題を中心に」

サイエンスカフェ:2014年10月18日(土)

講師 : ジェームズ・バスキンド先生

テーマ : 「日本思想史における不干斎ハビアン-位置づけの問題を中心に」

16世紀後半から17世紀始めにかけて、日本宗教界で特異な存在であった「不干斎(ふかんさい)ハビアン(1565-1621?)」とその著書『妙貞問答』について、名市大ジェームズ・バスキンド准教授(日本仏教研究)の講演を聞くことになった。

ハビアンといっても元は臨済宗(らしい)の日本人禅僧である。ところがキリシタンに改宗し、仏教十二宗派や神道、道教など日本のあらゆる宗教勢力をキリシタンの立場からメッタ切りする。それが『妙貞問答』で、二人の尼僧の問答体になった教書(カテキズモ)である。そこでは、「仏教・儒教・神道は「無」・「空」に基づき、後生の助けにならない」として、キリスト教の絶対「有」の神と魂の救済をもって批判を展開する。まさに比較宗教学の先駆者だろう。
ところが、ハビアンは1584年から20年間、イルマン(修道士)としてすぐれた弁舌で多くの信者を魅了するが、1608年突然、ひとりの修道女を連れてイエズス会を脱会、棄教する。さらに1620年には『破提宇子(ハデウス)』を著し、仏教の「無(空)」を「妙なる有」であると擁護し、キリスト教批判に向かうのである。この転回は謎である。

米オハイオ出身のバスキンド氏は、少々早口だが、じつにていねいに『妙貞問答』を説いていく。幕府誕生前後の混乱の中、突如あらわれた異形の宗教者像にひた迫ろうとする氏の生真面目さは、好感を呼んでいた。

城 浩介(「市民学びの会」会員)

サイエンスカフェ

吉田一彦教授「日本書紀の呪縛」

第66回サイエンスカフェ 2014年6月14日(土)

講師:吉田一彦教授

テーマ:「日本書紀の呪縛」

吉田先生の講義は、いつも刺激的な内容でおもしろい。私たち日本人は、『日本書紀』の原文を実際に読んだことがなくても、その内容を知っている。例えば、大化の改新や、聖徳太子の数々の事績に関しては、だれでも小学校の段階で習い、ずっと覚えている。最近の研究水準からいえば、これらはどうも史実ではないようだ。後世の権力者や学者によって、時代に合わせた価値ある歴史のみが抽出され、あるいはあたかも事実としてあったかのように歴史が創作されることがある。こうした歴史教育を受けた私たちは、まんまとその誘導に乗せられてしまっている。

『日本書紀』は、天皇制度の創始と深く関わる書である。天皇は、空間・法・経済を支配した。さらに、もっとも感心したのが時間をも支配したことだ。すなわち天壌無窮の神勅によって、この国には天皇家が無限の過去からずっと君臨してきたのであるから、未来永劫にわたって天皇家が君主になる家系であると規定したのである。過去の知識が現在の認識を生み、未来をつくり出す。未来とは過去の副産物であり、その繰り返しであるべきだという、未来に自由を許さない意図を感じた。
そもそも歴史学は未来を展望する中で、有意味な過去を編集する学問である。だからこそ、過去の知識を相対化し、いまの在り方を考えるために、未来を自由に創造するために、歴史学を学ぶ必要があるという。

今回、内容が難しいにも関わらず、専門家でなくとも容易に理解できるような説明と、立て板に水のよどみない話しぶりに、みな好奇心全開で、たびたび驚き、うなった。このことは、まぎれもない事実である。

柴田憲良(同研究科博士後期課程)

サイエンスカフェ

阪井芳貴教授「日琉二つの王朝文化をくらべてみる」

第65回サイエンスカフェ 2014年4月12日(土)

講師:阪井芳貴教授

テーマ:「日琉二つの王朝文化をくらべてみる」

今回のサイエンスカフェは、日本と琉球の王朝がテーマであった。私の中での王朝のイメージは、徳川美術館にあるような源氏物語絵巻なので、桜山駅に着いた途端、目に飛び込んできた満開の桜がこの上なく華やいで見え、うきうきと桜山キャンパス内のカフェに向かった。阪井先生には大学院時代から師事し、数年前に行われた沖縄スタディツアーにも参加させていただいている。その時は単なる観光旅行ではないディープな沖縄を見せていただき、沖縄の見方が変わったものである。今回の講義では、どのような切り口で沖縄を講義されるのかと、興味津々でのぞんだ。

まず、阪井先生は「皆さんのお手元に弐千円札があるのならば、見てください。」と言われた。この弐千円札は西暦2000年と、沖縄サミットが行われた記念の年であったことから発行されたもので、札の両面には、今回のテーマである二つの王朝を表象する図柄が描かれているとのことであった。確かに表面には守礼門、裏面には紫式部と源氏物語絵巻(鈴虫)が確認できる。私は日本の紙幣の中で最も美しい図柄の札だと思うが、二千円という単位で生まれたこともあり、現在ほとんど流通していないことを本当に残念に思う。

閑話休題、日本と琉球の両国に影響を及ぼしているのは、歴史的にみても中国や朝鮮であるので、日本も琉球も王朝文化においても類似点が見られるとのこと。悠久の歴史を思う時、中国の国力や、巧妙な外交術を再認識する。日本も琉球も、中国との関係を大切に築きながら、独自の発展を遂げてきたことを忘れてはならない。今回の講座の時間だけでは足りないほど、日本と琉球の話をするには壮大なテーマだと思ったが、話し足りなかった分は、また次回に機会があるものと期待する。日本を考える講座とはいえ、私には中国を大いに意識する講義となった。

現在の阪井研究室には中国人留学生も多く在籍している。この組織の中では、日中の関係はすこぶる良好で、いい意味での日琉中の三角関係となっている。学問に垣根はないと心から思う。この講座の後で、熱田神宮の中にある楊貴妃伝説ゆかりの泉に立ち寄ってみた。謂れに従って石の上に水をかけると、美しさが得られるというその場所には、若い女性が手を合わせ密やかに祈る姿があった。美を追求することにも、国境はないと思った。

野田雅子(同研究科修了生)

サイエンスカフェ

鋤柄増根教授「『こころ』を測定することから心理学は始まる」

第64回サイエンスカフェ 2014年2月22日(土)

講師:鋤柄増根教授

テーマ:「『こころ』を測定することから心理学は始まる」

サイエンスカフェには今回初めての参加でした。案内に大学内の会場で茶菓子、飲み物付とありましたので学生食堂の雑然とした会場をイメージしていましたが、当日カフェ会場に入ると、上質で落ち着いた雰囲気が漂っていて、いい意味で裏切られました。

お話は、「努力すれば夢は叶うと言われる、その努力は、どうやって測定したらいいのでしょうか」という鋤柄先生の問いかけから始まりました。そして、測定するとは何か。また、なぜ「こころ」が測定できるといえるのかを、長さや重さなどの一般的な測定と比較しながらわかりやすく説明していただきました。人間の内的世界を数えられる量として認識したことのなかった私にとって、「こころ」の測定にも単位が存在していて客観的に測定できるのだというお話は、とても新鮮で興味深いものでした。後半は、集団の中での個人差測定の理論を学びました。これは、複数の個体を比較して集団内の相対的位置と出現確率で能力の高さや性格を判断するもので、IQテストや大学入試センター試験、性格検査などのテスト開発に応用されているということでした。

質疑応答では、心理測定に関する率直な疑問や見解、「こころ」の定義を問う質問などが次々と出され、理解が深まったように思います。さらに会の終了後も数名の方が鋤柄先生を囲んで熱心に質問をされていたのが印象的でした。

柿崎美佐子(同研究科博士前期課程)

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