Archive for 10月 13th, 2007

福吉勝男教授「<ドイツ国制の近代的改革とヘーゲル>、そしてベルリンの今」

マンデーサロン 2007年10月15日(月)

テーマ: 「<ドイツ国制の近代的改革とヘーゲル>、そしてベルリンの今」

講師: 福吉勝男教授

10月のマンデーサロンは、福吉勝男教授の「今日のヘーゲル研究とベルリン訪問」がテーマであった。

今回のベルリン訪問は氏にとって1994年の国際学会に参加以来の13年ぶりであったとのこと。ドイツの変貌、とりわけ東西ドイツの融合が進む中で、ベルリンの壁のみならず、生活の上でも制度の上でも壁が撤去され、融和が進んでいる状況が語られた。そのお陰で、今回の訪問の目的であったヘーゲル研究のための資料収集がとてもスムーズに行えたと言う。ドイツはいい方向に向かっているというのが氏の感想だった。

さて、今回の資料収集は「ヘーゲル国家論の謎」の解明のためだった。ヘーゲルの国家論は『法哲学講義要綱』に書かれているが、そこには謎が存在するのである。市民が市民の自覚をもって社会を形成し、その市民が市民社会を豊かに発展させるために国家を展望する姿と、それにふさわしい国家のあり方(機構・制度)を述べると言いながら、その国家論には不可解な点があって、市民の自治的・自主的活動の姿を「市民社会」論において最高に示しながら、「国政」論ではそれにふさわしいものとはせず、むしろこれに先立つ彼の国家理解から後退しているのである。この謎である。

この謎はどうして生じたのだろうか。現代のところは、政治反動を目の当たりにしてヘーゲルが自己規制をしたと推定されている。しかしこの推定は正しいのだろうか。今回のドイツ訪問は、ヘーゲルがベルリン大学の総長としてプロイセン改革に協力した相手の宰相のシュタインやハルテンベルクの国家改革構想の見解との対比で、この謎に迫ってみようということでなされたわけである。

シュタインのものでは、1807年9月の「ナッサウ覚書」、1807年10月の「10月勅令」、1808年11月の「都市条例」を、ハルデンベルクのものでは、1807年9月の「リガ覚書」を入手することが出来たと言う。翻訳をしてこの謎解明に努力したいとのこと。期待しよう。

久田健吉(同研究科研究員)