Archive for 3月 24th, 2009

阪井芳貴教授「癒しの島、沖縄の現実」

第22回 サイエンスカフェ 2009年3月15日(日)

テーマ: 「癒しの島、沖縄の現実」

講 師: 阪井芳貴教授

昨年、8月に続いて2回目の参加であった。前回は「沖縄の祭と芸能」というテーマで開催され、沖縄の自然環境と人々の生活、あるいは、日常生活に密接している沖縄の神々について解説を受け、質疑応答を含めて非常に盛り上がった。阪井先生が語る沖縄は、多くの観光客がイメージする「穏やかで神秘的な沖縄」そのものであった。

しかし、今回は、「内地」では報道されない諸問題 ― 環境問題・経済問題・基地問題 ―をテーマに、沖縄の人々が日常生活で直面する問題の一部を紹介した。前回を沖縄の「光」の部分とするならば、今回は「影」の部分である。沖縄県の歴史を振り返ると4つのターニングポイントが存在する。1609年の薩摩藩による侵攻、1879年の琉球処分、1945年のアメリカ軍政府統治、1972年の沖縄返還である。琉球王国時代から他者の軍事力や経済力によって大きな転換を余儀なくされた「侵略されてきた歴史」であり、明らかにヤマトーンチュとは異なる「時間」と「空間」のなかで沖縄の人々は生活しているのである。今回は、そのことを踏まえて“創造された”楽園イメージと沖縄県の住民が直面する諸問題に対する視座の在り方を問題提起した。

基地経済からの脱却を図りたい沖縄県と「内地」では失われつつある「人情や豊かな自然がのこる楽園」を求めるヤマトーンチュの思惑が一致した結果、1990年代から沖縄の「楽園」イメージは、積極的に“創造”されてきたといえる。伝統や物事、歴史の断片が“都合よく”活用された結果、「沖縄=癒しの島・異国情緒あふれる楽園」という図式が、双方によって作り上げられた。しかし、その一方で、対極にある住民の諸問題が積極的に取り上げられることがなかった、という見方もできる。

最近になってテレビのドキュメンタリーや新聞記事で沖縄が直面している諸問題を積極的に取り上げている事例を目にすることが多くなった。マスコミや研究者どのような視座に立っているかによって問題の切り口は多種多様であるが、楽園イメージが前面に押し出されている現状を見つめなおす契機になることは間違いない。そろそろ、「楽園ではない」沖縄と対峙し、沖縄問題は単なる地域問題ではないということを考える時期にきているのである。今回のサイエンスカフェの冒頭で、「知らないことは罪である」と阪井先生はおっしゃっていた。シンポジウムに参加してみる、琉球新報や沖縄タイムスのHPにアクセスしてみる、図書館で文献を調べてみる、あるいは、2月に実施されたようなスタディ・ツアーに参加してみるなど、「知る手段」は多数ある。「知る手段」の多様性は、問題に対する視座の検証と理解を深めることにつながると、今回のサイエンスカフェを通じて感じた。

 唐木健仁 (愛知県立大学大学院 国際文化研究科 博士課程)