Archive for 4月, 2010

田中敬子教授「アメリカ文学とボーダーランド」

第34回 サイエンスカフェ 2010年4月21日(日)

テーマ:「アメリカ文学とボーダーランド」

講 師: 田中敬子教授

今回は田中敬子先生が、メキシコ系アメリカ作家の作品が歴史の中でどのように登場し、どのような意味のある作品であったかを講義された。 ボーダーランドとは国境地帯で、広義には異文化が混在する地帯を意味する。グロリア・アンサルドゥーアの『ボーダーランド』というタイトルの本は狭義にはアメリカとメキシコのボーダーを主として意味している。  しかし、古典的アメリカ文学におけるボーダーランドとは、文明と自然の境界としてとらえられている。19世紀においても同様なとらえ方で作品が書かれたが、自然への傾斜が見られる。異文化とのボーダーランドをアメリカが強く意識するようになったのは、20世紀後半といえる。サイエンスカフェ

さて、1821年のメキシコ独立や1836年のテキサス独立などの歴史を背負ったメキシコ系アメリカ作家は自分たちのアイデンティティを表す呼称を用いて「チカーノ・チカーナ文学」を生み出した。アンサルドゥーアの『ボーダーランド』(1987)はチカーナ(女性作家)文学の一作品であり、国・性別・言語などのボーダーに生きるメキシコ系アメリカ人のアイデンティティをテーマにした。 さらに、同時代のメキシコ系アメリカ人ではない白人作家がメキシコ国境を描いた作品をとりあげ、彼らにとって、アメリカとメキシコのボーダーとは異なるボーダーが存在するのではないかと結んだ。

一般的にはあまり知られていないメキシコ系アメリカ作家の作品のあらすじをわかりやすくお話いただき、文学の世界を味わうことができた。

 伊藤泰子(同研究科博士後期課程)

安藤さおり(かわら美術館学芸員)「ひめゆり 平和への祈り」展に寄せて」

マンデーサロン 2010年4月19日(月)

テーマ: 「ひめゆり 平和への祈り」展に寄せて」

講 師: 安藤さおり(かわら美術館学芸員) 阪井芳貴(人間文化研究所長)

阪井先生の主催により、沖縄のひめゆり学徒隊について、高浜市のかわら美術館学芸員の安藤さん、そしてそのバックアップをされた朝日新聞社の小倉さんからお話をうかがった。その内容はひめゆり学徒隊のみならず、戦争全般、それを後世に伝えることの問題についての話までにおよび、幅広く濃い内容であった。

安藤さんが言われていた中でも私が強く心に残ったことは、「戦争を分かったつもりになっていないか」ということであった。原爆資料館や特攻隊平和記念館など、昔私は訪れた時に涙があふれ、大変なショックを受けたことを思い出した。そして思った、「こんなことはやってはいけない」と。しかし、その衝撃ですら私は戦争の悲惨さのごく一部を垣間見たにすぎないのではないと感じた。現実では、もっと残酷のだ。戦争とは体験者にしか分からない、想像を逸脱した恐ろしさをもっていることが分かり、とても考えさせられた。また、そのような想像を絶する戦争の体験を体験者が語るのは非常に難しいという。それらの体験をふまえ、平和についての大切さを語るのは簡単ではないという。また、平和を伝えようとしても、正しく伝えることは難しい。広報の誤った解釈もある。さらに、当の沖縄の戦争を知らない世代も、沖縄の歴史や文化などを知らないこともあげられる。

私は茶華道の先生が戦争のことについて語った後に、ふと何かを思い出すようにもらした言葉が忘れられない。「戦争のことは、話し出したら切りがないけどね・・・。」どのような想いを背負って、先生は私の前でそのようなことを言われたのだろうか。戦争の悲惨さを語り、平和についての大切さを伝えることは、戦争の体験者をどれほどの心にさせてしまうのか。きっと私にははかり知れない重みをもっているのだ。「戦争の愚かさを説き、平和の大切さを後世に伝えなければならない。」よく言われることだが、それすらも戦争の経験者にとっては、今尚、残酷であるのだ。私たちはあまりにもそれを知らないのではないかと感じた。

さらに、平和を伝える場所を探すことにも苦労したという。今回は、関東の大都市では行われない。何故なら、その場所を受け入れてくれるところはなかったからだ。実は、受け入れ先はほとんど断られてしまったいう。また、かわら美術館でも入場者はほとんど年配の方々であり、戦争を知らない世代はなかなか来場しないという。つまり、平和の大切さや戦争の恐ろしさを伝えたい次世代の入場者が少ないということだ。そのためかわら美術館では、教育委員会を動かして積極的に次世代にそれを伝える働きかけをしている。平和を伝えることとは、その背景を整えることも難しいことを痛感させられた。

最後に、ひめゆり学徒隊の生き残りの方々には子供がいると配布資料を見て分かった。いわゆる「戦争の落とし子」と言われる方々である。そして、その子孫が今続いているだろう。ひめゆり学徒隊はその過半数の方々がその尊い命を奪われている。生き残った方々も、紙一重にその中に入っていたかもしれないのだ。生き残った方々の命の血脈が今に息づいているが、もし戦争などなく、亡くなった方々が生きていたら、どのような命が現在に続いていたのかを考えずにいられない。実は、私の亡くなった祖父も、空襲時に実家に帰っていて、たまたま生き残れたうちの一人であるのだ。たった1日の差である。私は戦争で、1日の差によっては生まれない命であったのかもしれないのだ。

伊澤 志奈(同研究科博士前期課程)