Archive for 10月, 2014

土屋有里子准教授 「文学表現に見る日本人の他界観」

マンデーサロン:2014年10月20日

講師 :土屋有里子准教授

テーマ: 「文学表現に見る日本人の他界観」

現代日本人である私たちは無意識のうちに他界観というものを持っている。それが具体的な世界でなくとも、私たちは死後の世界があることは認めていると思う。今回の土屋先生のご報告は、このような日本人の他界観が形成された過程を、文学表現から読み解こうと試みた、とても興味深いものであった。

ご報告では、『古事記』『万葉集』『日本霊異記』『今昔物語集』『往生要集』といった様々な書物を用いられ、そこに描かれている他界観を時代に沿って紹介された。八世紀の書物である『古事記』には死後の世界である黄泉の国の話がある。そこには黄泉の国が地上の坂の向う側にある世界のように描かれており、日本古代の平面的他界観が読み取れる。しかし、現代人は平面的他界観を持っていないだろう。その理由は仏教の影響が強いからだという。仏教的他界観では上には浄土があり、下には地獄がある。この仏教的他界観が日本古代的他界観に入り込むことによって現代に通じる他界観が形成されていったらしい。質疑応答では世界の宗教との比較はどうなのか、といった世界的視角からの質問が出た。だが、日本文学の分野で仏教以外の宗教との比較研究はまだ進展しておらず、将来の課題らしい。

歴史上、仏教が日本に与えた影響は数えきれない。現在になっても日本のあらゆる場所で仏教の影響を見ることができる。今回のご報告は日本の歴史を読み解くには仏教は外すことのできない要素であることが浮き彫りになった有意義なものであった。

手嶋大侑(本学研究科博士前期課程院生)

マンデーサロン

ジェームズ・バスキンド先生 「日本思想史における不干斎ハビアン-位置づけの問題を中心に」

サイエンスカフェ:2014年10月18日(土)

講師 : ジェームズ・バスキンド先生

テーマ : 「日本思想史における不干斎ハビアン-位置づけの問題を中心に」

16世紀後半から17世紀始めにかけて、日本宗教界で特異な存在であった「不干斎(ふかんさい)ハビアン(1565-1621?)」とその著書『妙貞問答』について、名市大ジェームズ・バスキンド准教授(日本仏教研究)の講演を聞くことになった。

ハビアンといっても元は臨済宗(らしい)の日本人禅僧である。ところがキリシタンに改宗し、仏教十二宗派や神道、道教など日本のあらゆる宗教勢力をキリシタンの立場からメッタ切りする。それが『妙貞問答』で、二人の尼僧の問答体になった教書(カテキズモ)である。そこでは、「仏教・儒教・神道は「無」・「空」に基づき、後生の助けにならない」として、キリスト教の絶対「有」の神と魂の救済をもって批判を展開する。まさに比較宗教学の先駆者だろう。
ところが、ハビアンは1584年から20年間、イルマン(修道士)としてすぐれた弁舌で多くの信者を魅了するが、1608年突然、ひとりの修道女を連れてイエズス会を脱会、棄教する。さらに1620年には『破提宇子(ハデウス)』を著し、仏教の「無(空)」を「妙なる有」であると擁護し、キリスト教批判に向かうのである。この転回は謎である。

米オハイオ出身のバスキンド氏は、少々早口だが、じつにていねいに『妙貞問答』を説いていく。幕府誕生前後の混乱の中、突如あらわれた異形の宗教者像にひた迫ろうとする氏の生真面目さは、好感を呼んでいた。

城 浩介(「市民学びの会」会員)

サイエンスカフェ