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ジェームズ・バスキンド先生「江戸初期のキリスト教の改宗者・棄教者、不干斎ハビアンの日本思想史上の位置づけをめぐって」

Posted By human On 2014年9月30日 @ 10:28 In マンデーサロン | Comments Disabled

マンデーサロン 2014年9月29日(月)

講師 : ジェームズ・バスキンド先生

テーマ : 「江戸初期のキリスト教の改宗者・棄教者、不干斎ハビアンの日本思想史上の位置づけをめぐって」

今回、バスキンド先生の講義を通じ不干斎ハビアンの生涯と思想的変遷を知り、私には2つのことについての思いが去来しました。

1つは、ハビアンの主著である『妙貞問答』の中でも問題となるキリスト教的な立場である神を中心とした絶対的な「有」の立場と、仏教の主張する「無」・「空」・「因縁」などを内容とした相対主義の立場との争いについてです。この古くて新しい問題は今も現実世界の中で、様々な現象を呈しているように思います。例えば、現在の経済におけるグローバリズムに対しての、国際政治におけるウクライナ問題やイスラム問題というような、グローバリズム対ローカリズムの対立現象としてなど。

私自身、経済のグローバリズムが生む格差や貧困や、そうした現象を正当化する新自由主義的思潮に対する素朴な疑問を感じ、その疑問についてのヒントが得られないかと日本仏教の歴史の研究を志向し、仏教の原理的な点での相対主義・寛容主義が、多くの争論の場における平和的解決に資するのではないかと今は感じています。バスキンド先生を紹介する新聞記事の中でも述べられていましたが、「自」と「他」・「絶対」と「相対」についての寛容的立場が必要ではないかと感じた次第です。

今1つは、ハビアンが晩年に著した『破提宇子』の中で、『妙貞問答』における当初の思想的立場を破棄し、反キリスト教に向かうこととなった晩年のハビアンの心境は如何なるものであったのか。老境となり、人は人生に何を感じるのかということについての興味です。そうしたことを考えさせてくれた有意義な講義でした。

高田 諭(本学人間文化研究科前期課程院生)

マンデーサロン


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