伊藤恭彦教授「貧困の放置は罪なのか―国境を越える正義の可能性」 

第23回 マンデーサロン 2009年4月20日(月)

テーマ: 「貧困の放置は罪なのか―国境を越える正義の可能性」

講 師: 伊藤恭彦教授

マンデーサロン今年度最初のマンデーサロンが4月20日に開催された。4月に赴任したばかりの伊藤恭彦教授が「貧困の放置は罪なのか―国境を越える正義の可能性」と題して報告して、活発に質疑が行われた。

まず21世紀初頭の世界の貧困問題を数字で示して、国境を超える財移転政策、例えば ODA政策の倫理的根拠の考察が報告の課題とされた。私たちの日常生活に潜む常識としてマル サス主義、リバタリアニズム、ナショナリズムについて検討し、とくにリバタリアン的所有の問題点 として5点あげる。そして「常識」から正義へ、国際公共政策の改革を展望する。慈善ではなく、正義に基づく国境を越える財移転政策について、ODA政策や国際連帯税などの新たな政策を紹介する。おわりに、コスモポリタリズムと関わらせて、地球市民としての倫理的課題を提示した。

多面にわたる報告を紹介するのは困難をきわめるが、「貧困の放置は罪なのか」「国境を超え る正義の可能性」という問題提起は、32名の参加者の知的好奇心を大いに刺激するものであっ た。初めての参加者も多く、今年度最初にふさわしいサロンであった。

山田明(同研究科教授)

新井透教授 「変貌するアメリカの人種観―文化的視座から考える」

第23回 サイエンスカフェ 2009年4月19日(日)

テーマ: 「変貌するアメリカの人種観―文化的視座から考える」

講 師: 新井透教授
サイエンス・カフェ

1月20日にオバマ新大統領が就任した。彼は「黒人」と言えるかの問題はあるが、少なくても有色であるオバマ氏の就任はアメリカの変化を示している。この変化しつつあるアメリカ合衆国にとって切り離せない奴隷制度、プランテーション、宗教、公民権運動の歴史を主として黒人の文学、文化を通して説明され、アメリカは「人種の壁を越えられるか」という問いかけがなされた。

私は社会学者が「文学は『フィクション』で研究対象とはならない」と言うのをよく耳にします。しかし、なぜこの「フィクション」が書かれたか、ジャズはいかに生まれたか、ある作品を誰がどのように批判するか、を考察することは社会を理解する手掛かりに十分なりうると思いました。例えば「風と共に去りぬ」を取り上げられて、白人と黒人の視点では作品の評価が異なることを説明された。このようにみていく面白さを伺い、文学の奥深さを考える好機になりました。また、南部の果実は奇妙な果実をつける・・・で始まる歌「奇妙な果実」が高く評価されたことは、歌の力の大きさを痛感させます。

時間の都合もあり、ネイティブの文化は一部の紹介でした。次回はマイノリティの文化比較を伺いたいと思いました。

房岡光子(同研究科研究員)

阪井芳貴教授「癒しの島、沖縄の現実」

第22回 サイエンスカフェ 2009年3月15日(日)

テーマ: 「癒しの島、沖縄の現実」

講 師: 阪井芳貴教授

昨年、8月に続いて2回目の参加であった。前回は「沖縄の祭と芸能」というテーマで開催され、沖縄の自然環境と人々の生活、あるいは、日常生活に密接している沖縄の神々について解説を受け、質疑応答を含めて非常に盛り上がった。阪井先生が語る沖縄は、多くの観光客がイメージする「穏やかで神秘的な沖縄」そのものであった。

しかし、今回は、「内地」では報道されない諸問題 ― 環境問題・経済問題・基地問題 ―をテーマに、沖縄の人々が日常生活で直面する問題の一部を紹介した。前回を沖縄の「光」の部分とするならば、今回は「影」の部分である。沖縄県の歴史を振り返ると4つのターニングポイントが存在する。1609年の薩摩藩による侵攻、1879年の琉球処分、1945年のアメリカ軍政府統治、1972年の沖縄返還である。琉球王国時代から他者の軍事力や経済力によって大きな転換を余儀なくされた「侵略されてきた歴史」であり、明らかにヤマトーンチュとは異なる「時間」と「空間」のなかで沖縄の人々は生活しているのである。今回は、そのことを踏まえて“創造された”楽園イメージと沖縄県の住民が直面する諸問題に対する視座の在り方を問題提起した。

基地経済からの脱却を図りたい沖縄県と「内地」では失われつつある「人情や豊かな自然がのこる楽園」を求めるヤマトーンチュの思惑が一致した結果、1990年代から沖縄の「楽園」イメージは、積極的に“創造”されてきたといえる。伝統や物事、歴史の断片が“都合よく”活用された結果、「沖縄=癒しの島・異国情緒あふれる楽園」という図式が、双方によって作り上げられた。しかし、その一方で、対極にある住民の諸問題が積極的に取り上げられることがなかった、という見方もできる。

最近になってテレビのドキュメンタリーや新聞記事で沖縄が直面している諸問題を積極的に取り上げている事例を目にすることが多くなった。マスコミや研究者どのような視座に立っているかによって問題の切り口は多種多様であるが、楽園イメージが前面に押し出されている現状を見つめなおす契機になることは間違いない。そろそろ、「楽園ではない」沖縄と対峙し、沖縄問題は単なる地域問題ではないということを考える時期にきているのである。今回のサイエンスカフェの冒頭で、「知らないことは罪である」と阪井先生はおっしゃっていた。シンポジウムに参加してみる、琉球新報や沖縄タイムスのHPにアクセスしてみる、図書館で文献を調べてみる、あるいは、2月に実施されたようなスタディ・ツアーに参加してみるなど、「知る手段」は多数ある。「知る手段」の多様性は、問題に対する視座の検証と理解を深めることにつながると、今回のサイエンスカフェを通じて感じた。

 唐木健仁 (愛知県立大学大学院 国際文化研究科 博士課程)

浅岡 裕子さん「医療受益格差-医療政策が生み出した格差を問う」

第22回 マンデーサロン 2009年3月16日(月)

テーマ: 「医療受益格差-医療政策が生み出した格差を問う」

講 師: 浅岡 裕子さん (人文社会学部4年)

マンデーサロン今年度最後のマンデーサロンが3月16日に開催された。今回は人文社会学部4年の浅岡 裕子さんが「医療受益格差-医療政策が生み出した格差を問う」と題して報告し、13名の 参加者とともに活発な意見交換が行われた。

浅岡さんは20数年のベテラン看護師であり、 仕事を続けながら3年次に編入した。今回の報告は浅岡さんの卒論のテーマであり、1時間 にわたりパワーポイントを使った説得力ある報告であった。

医療をとりまく厳しい現実に対して、 憲法25条などをもとに医療の公共性について問題提起した。人と医療機関の視点から、 医療受益格差の解決に向けた政策提言を行った。「地域住民が医療を守るという姿勢も 問われている」という指摘も印象の残った。多くのことを考えさせられたサロンであった。

山田明 (同研究科教授)

筒井 正さん「城下町名古屋の生活空間論」

第21回 マンデーサロン 2009年2月16日(月)

テーマ: 「城下町名古屋の生活空間論」

講 師: 筒井 正さん 「市民学びの会」会員

城下町名古屋の生活空間論

今回のサロンは、新修名古屋市史民俗部会専門委員を務めた筒井正さんが「城下町名古屋の生活空間論」と題して報告した。

昨年11月の市民学びの会・ミニ講座「名古屋の伝統産業を支える職人たち」が好評であり、テーマを広げて報告してもらうことになった。今回、学びの会と研究所・サロンとの「つながり」ができたので、これからの活動に活かしていきたい。学びの会メンバーや筒井ファン?など20名近くの参加があった。

来年は名古屋開府400年であるが、報告で城下町名古屋がどのように形成されたか、武家屋敷地・町人地・寺社地などに分けて示された。とりわけ長年の調査にもとづいて町人地の町屋と閑所(かんしょ)について、詳細な説明がなされた。閑所(会所)は町屋の街区の中心にできる生活空間・路地空間であり、コミュニティの場であるという。名古屋特有の「閑所」についての研究は、名古屋の歴史、名古屋学を考えるうえでも重要な問題提起といえよう。

そのほか「芸どころ尾張」の中心・大須界隈についての説明も興味深かった。江戸から明治・大正、そして昭和に至る遊郭の歴史、大須から日本一の中村遊郭への歩みも、またじっくりと聞きたい話であった。ビジュアルな報告と質疑により、充実したサロンとなった。

山田 明 (同研究科教授)

Page 20 of 28« First...101819202122...Last »