寺田元一教授 「18世紀フランスにおける大学とカフェ」

第21回  サイエンスカフェ 2009年2月15日(日)

テーマ: 「18世紀フランスにおける大学とカフェ」

講師: 寺田元一教授

「大学」と「カフェ」との間にどのような接点があるのだろうか。今回の講演で、18世紀フランスにおいては、大学とカフェには「知」を扱うという共通点あることが明らかになった。しかし、確かに両者には「知」という接点があるのだが、神学・法学・医学に関する伝統的な知を継承する場である大学と、政治から噂話まで世俗的な知が飛び交い、自由に語り合いながら新しい知を生み出す場であるカフェとでは、知のあり方が異なっていた。また、私的な同業組合である大学と、誰でも参加できる公共圏であるカフェには決定的な違いがあった。

講演を通して、現代のカフェという場の持つ意味について考えさせられた。18世紀フランスにおいては、大学をエスケープした学生や作家志望者などの社会の「王道」を歩めない人々が多く集っていたようである。そのネットワークは、「世論」を形成し、変革の萌芽が生まれ得る力を潜在的に持っていた。ところが、現代のカフェは、庶民の休息の場や雑談の場となっているように感じる。果たして、カフェから意義のある交流が生まれたり、意見を戦わせた結果として「総意」が形成されたりすることがあるのだろうか。

ネット世界で繋がるのは便利で手軽ではあるが、あらゆる立場の人々が外に足を運んでカフェなどの公共圏を最大限利用し、活気に溢れた人生、ひいては社会を現出できないものかと思った。学ぶ意欲という共通点を持つ様々な年齢層の参加者を目にして、そして18世紀とは異なり、大学がそれを牽引するという新しい形式を体験して、期待が膨らむ講演会だった。

艸田理子(人文社会学部国際文化学科2008年度卒業生)

「アルゼンチンタンゴ★ミニコンサート」

第19回 マンデーサロン 2009年1月19日(月)

テーマ:  「アルゼンチンタンゴ★ミニコンサート」

マンデーサロン企画アルゼンチンタンゴコンサート

 

コントラバス(同研究科阪井教授)・ピアノ・バンドネオン・ヴァイオリンによるアルゼンチンタンゴの演奏

ヴァイオリン奏者は、ブエノスアイレスで演奏活動中です。

30名の参加がありました。音楽室は音響がよく、迫力ある演奏が聴けました。

中村裕子(同研究科研究員)

別所良美教授 「歴史認識と共生」

第20回 サイエンスカフェ 2009年1月18日(日)

テーマ: 「歴史認識と共生」

講師: 別所良美教授

「歴史認識を共有することによって、諸民族・諸国家は共生することができる」と「諸民族・諸国家は共生することによって、歴史認識を共有することができる」という二つの文章はよく似ているが、はたしてどちらの方が現実的であるのか、という問いかけから話は進められた。
具体的には、日本の「新しい歴史教科書」をめぐる一連の論争を例にして、配布資料を参照しながら解説された後、「歴史」とは価値判断を超えた客観的事実ではなく、常に価値判断を含んだものである、という見解が示された。すなわち、国が歴史の真実を押し付けるのであり、我々には、そうした真実の絶対性から距離を置く、という考え方が必要なのである。

そして、共生は政治的判断の問題である、と述べられた後、「共生」への政治的意志形成によって、将来的には歴史認識の共有が可能になるだろうが、その時には「歴史認識の共有」が問題としては存在していないだろう、と結論付けられた。

終了後、五名の方から質問が寄せられ、どの質問に対しても、参加者各位からの応答もあり、こうした問題への関心の高さを窺い知ることができた。多くの参加者がメモをとられており、参加者一人一人が何らかの問題意識を持って、聴講されていたのが印象的であった。

石川雄蔵(同研究科博士前期課程)

有賀克明教授「科学ってこんなにおもしろかったの!?―理科ぎらいで、ああ、損した!―」

第19回 サイエンスカフェ 2008年12月14日(日)

テーマ: 「科学ってこんなにおもしろかったの!?―理科ぎらいで、ああ、損した!―」

講師: 有賀克明教授

サイエンスカフェ 12月のサイエンスカフェは「科学ってこんなにおもしろかったの!?-理科ぎらいで、あぁ、損した!」と題して、有賀克明教授による講義が行われた。奇しくも4名の日本人科学者が受賞したノーベル賞の授賞式のニュースが重なり、科学を再考するよい機会となった。
始めに、科学とは程遠いと思われるような子どものおもちゃが数々飛び出し、会場の参加者はひとしきり子ども時代に戻って遊んだ。会場の雰囲気が和んだところで、次に取り組んだのは理科の試験問題。科学離れが叫ばれて久しい日本の中学生が実際に受けたテストはなかなか難しかった。関係のないように見られる「おもちゃ」と「試験問題」の間に、日本人の科学離れについての連関性がある、というのが有賀教授の論である。科学を学ぶことによって我々が得るものの一つは科学的思考や論理的思考なのであるが、その根っこは子ども時代のおもちゃにある、というのである。おもちゃで遊びながら、「なぜ?」の芽が育つ、ということだ。便利になった日本で「なぜ?」の芽が育ちにくいというのはよくわかる。
決して理科が好きだったとは言えない私にとって、タンポポや蝶々についての有賀教授の説明は、難しい言葉を使わないわかりやすいものであり、素朴な「なぜ?」を埋めてくれるようなものであった。と同時に、植物や昆虫が合理性を追求しながら生きる姿を「生きるために生きる」と説明された有賀教授の言葉に、科学の本質を垣間見た気もした。科学を学んだその先には深い哲学に通ずる道が用意されているのかもしれない。
会場の約20名の参加者が熱心に講義に聴き入っておられる姿に、学びへの意欲の強さを感じ、刺激を受けることができたことも書き添えておく。

梶田美香(同研究科博士後期課程)

土屋勝彦教授「オーストリアの現代作家たち」

第18回 サイエンスカフェ 2008年11月30日(日)

テーマ: 「オーストリアの現代作家たち」

講師: 土屋勝彦教授

サイエンスカフェ11月のサイエンスカフェは「オーストリアの現代作家たち」という題で、土屋勝彦先生による講義が行われた。最初に、トーマス・ベルンハルト、ペーター・ハントケ、イェリネク、ペーター・ローザイなど著名な現代作家たちについて、各作家の生い立ち、文学の特徴、社会的および文学的な価値評価などについて詳しく説明がなされた。

歴史的に見ても、共生・調和を志向する多民族国家たるハプスブルグ王朝の伝統を受け継ぎ、ウィーンの芸術家たちが政府や社会規範と一体化する傾向がある中で、文学作家たちは公権力との距離を置いていること、またドイツとの関係を重視しつつ、自らのアイデンティティを模索する中で、二重化された自己の葛藤をエネルギーに変えて、言語そのものによって世界を再構築する試みを行っていることを知り、オーストリア文学とは、多元的な価値の総集であることをあらためて感じた。

講義の後は、参加者から積極的な質疑応答がなされた。若者の活字離れが進んでいる現状や、今後の文学のあり方を危惧する意見も多い中、最後に、先生は文学研究の意義について述べられた。「言語によって構築される世界は無限である。現実を前に言葉を失うか、言葉を使ってそれを超えていくかが作家たちに問われている課題である。そして、その中で、文学研究とは、優れた作品に触れ、感動したことに責任を持ち表現することである」と。

文学研究を行う一人として、心が奮い立った。豊かな時間を過ごすことができた。

野田いおり (同研究科博士前期課程)

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