成田徹男教授教授「ポテンコ?の言語学―ソシュール生誕150年によせて」

第4回  サイエンスカフェ 2007年9月16日(日)

テーマ:  「ポテンコ?の言語学―ソシュール生誕150年によせて」

講師:  成田徹男教授教授

サイエンスカフェ会場である丸善の4階カフェに入っていくと、初秋にふさわしいシックなスタンドカラーシャツの成田教授が、熱心に資料を準備されているところでした。今回の配布資料は図を取り入れ、ソシュールのプロフィールから、「記号の原理」、「外来語らしさ」まで合計8ページにもわたる豊富な内容です。配られた参加者も大満足のようでした。ケーキと珈琲と配布資料とで、テーブルはいっぱいになりました。

先生から、先ずソシュールの生涯、続いてソシュールに関する文献紹介、「記号」、「恣意性」、「外来語」に関するお話がありました。フェルディナンド・ソシュール(1857-1913)は、スイスのジュネーブで生まれた言語学者です。55歳で亡くなりました。成田先生は今年、ちょうどソシュールが亡くなった年齢と同じ「55歳」になられたことを、聴衆に暴露されました。客席から「どよめき」が起こりました。参加者の皆さんが成田先生は、もっと「若い」と思っていたようです。これが、先生と参加者が打ち解けあった瞬間でした。私は成田先生のこのような話の導入に魅了されました。「話のイントロで客の心をつかむこと」が大切であることを実感しました。会場は、これで一気に和やかムードになり、最後まで気楽な雰囲気が続きました。

今年2007年は、ソシュール生誕150年ということもあり、日本語学の刊行物でも特集が組まれています。本日のサイエンス・カフェの論題は、そういう意味でもタイムリーな好企画でした。
ソシュールの著書ではありませんが、1906年から1911年にかけて、合計3回ジュネーブ大学で行なった講義を、後に受講学生たちがまとめ、世に出した『一般言語学講義(1916)』は、言語学を学ぶ者の間では、大変有名です。数年前になりますが、私は授業以外でも、この本を読んだことがあり、「記号」、「恣意性」、「構造」という3つのことばを思い出しました。 ソシュールは、言語が記号の1種であり、言語を構成する要素は体系をなすこと、要素の配列は一定の構造を形成することなどの、言語に関する特質を指摘しました。それらのことを、誰にもわかるように成田先生は身近な話題に結びつけて、やさしく解説されました。

さて、いよいよ、ここからが成田先生ならではの「ポテンコ」のお話です。本日の講演タイトルでもあります。「ポテンコ」という語形から判断して、「外国からきたことば」と感じる日本語話者が多いのでは?という先生の問いかけに、うなずく参加者が多かったです。私たちは、語の形から語種(和語、漢語、外来語)を推定するようなことがあります。実は、「ポテンコ」は、成田先生がことばの本質について語るとき、よく例に出される先生の造語なのです。 「ワンワンほえる動物」のことを「イヌ」と呼んでいますが、それでは、「ワンワンほえる動物」を「ポテンコ」と呼んではいけないでしょうかと、先生はさらに問いかけます。 たとえば、私一人が、「ワンワンほえる動物」のことを「ポテンコ」と言っても、ワンワンほえる動物の「イヌ」とは、他人は絶対に思いません。しかし、ある集団で申し合わせれば、「ワンワンほえる動物」を「ポテンコ」と言っても通じるようになります。伝達しあう人同士のあいだでわかればよいからです。このように、ソシュールのいう「恣意性」に関して、成田先生は少しずつ、その謎を解いていきます。恣意性があるからこそ、言語は地域や時代によって変化するということも教えていただきました。しかし、現実には社会性をも併せ持っているので、勝手に変えることはできないことを、先生は例示され丁寧に説明されました。

先生のお話の最中にも、客席から活発な発言や質問がありました。「言語」にこんなにも熱くなれるなんて、どういう人たちなのだろうかと、私は興味を持ちました。参加者の年齢は推測するところ、20代から70代、職業は学生、主婦、会社員など多様です。先生の眼前で、「ことば」についての持論を展開する熱心で意欲的な参加者に驚きました。 成田教授の声は、ソフトで穏やかです。やさしい雰囲気がよかったと参加者からも好評でした。お話のあいだ、目をつぶると1900年初頭のジュネーブ大学、口ひげをはやしたソシュールの丹精な顔(写真で有名)と受講学生たちのきらきら輝く瞳が目に浮かんできました。 講演が終了すると、「最後に、やっとポテンコの意味がわかってすっきりしました」と言って帰られる参加者がありました。講演のタイトルに付いた「ポテンコ」ということばが、ずっと気になっていた参加者も多かったようです。

サイエンス・カフェは、先生と参加者が距離感なく、同じ目線でディスカッションできるところがすばらしいと思いました。私も、「今日の参加者の皆さんのように、いつまでも熱く、意欲的に生きたい」と発奮する機会を得られたことを幸せに思います。ことばを通して交流することができ、これこそ、今日の論題にふさわしい最大の成果ではないかと感じました。

山田陽子(同研究科博士後期課程)

阪井芳貴教授「沖縄の祭りと芸能」 

第3回サイエンスカフェ 2007年8月19日(日)3

テーマ:  「沖縄の祭りと芸能」

講師:  阪井芳貴教授

サイエンスカフェ

日本各地で記録的な猛暑がTVニュースを賑わす8月19日に開催された阪井先生による「沖縄の祭りと芸能」も気温に負けない位の熱気を帯びていました。参加者の年代も南沙織の年代から安室奈美恵の年代と幅広く、当然、参加者の沖縄への関心事もさまざまで、最後の質疑応答を拝聴すると歴史、文化、親族形態、戦争問題などな多岐にわたっていたようでした。それをまとめる先生はさぞかしご苦労されたことでしょう。
今回はお盆明けということも考慮してかどうかは定かではありませんが、沖縄の神様を中心としたお話を、石垣島の「アンガマー」や沖縄の各地にある「御嶽(ウタキ)」などを例に挙げて分かりやすく解説していただきました。
サイエンスカフェ
沖縄県が観光立県となり、最近、沖縄には「青い海と異国情緒漂う楽園」といったイメージが定着してきていますが、現実は自然災害との戦いを独自の信仰観や祖先観で地域と助け合いながら生活してきた歴史が沖縄にはあります。日常生活において沖縄の特徴とはなんでしょうか?それは神や祖先との距離感だと思います。そのような特異性が柳田國男以来、数多くの民俗学者や人類学者の興味を引き付けて止まないところでしょう。沖縄の生活の基本となる家族や村落の中心に神があり、祖先があるということは観光地化された現在でも一歩踏み込んで沖縄を観察するとみえてきます。本土の都会に過ごす人々が日常に神や祖先を感じることがあるでしょうか。せいぜい「困った時の神頼み」程度の距離感なのではないかと思いますが、沖縄はちょっと違います。距離感の近さを裏付ける事例に沖縄における芸能の位置付けがあると思います。本来の芸能は神に対しての奉納であり、観客の存在は重要ではありません。沖縄は神と芸能と民衆が一体化しており、極端なことを言えば、祭事には村人全てが芸能者となり「カチャーシ」をしながら参加します。沖縄の人にとって祭事はきわめて身・u梛゜で、神と人、もしくは祖先と子孫のコミュニケーションであるといえるのではないでしょうか。
今回のサイエンス・カフェは美ら島沖縄大使でもある阪井先生が「神の島・沖縄」 への旅の楽しみ方の提案でもあり、商業主義的な祭りが増加する現在において「祭り」の原点を見つめ直す意味も含めて有意義でした。

唐木健仁(愛知県立大学大学院修士課程2年)

後藤宗理教授「大人になるってどういうこと?―大学生への調査結果から問題に迫る―」 

第2回サイエンスカフェ 2007年7月22日(日)

テーマ:  「大人になるってどういうこと?―大学生への調査結果から問題に迫る―」

講師:  後藤宗理教授

サイエンスカフェ
高校二年、まさに揺れ動く思春期の娘と一緒に参加しました。 人が生まれ、乳・幼児期、学童期~を経て老年期に至る大きな流れの中で、それぞれの段階において何を獲得し得るのか、またはできないでいるのかという、エリクソンの話は年ばかりかさんでしまって中身が伴わず、なかなか大人になりきれない私には大変興味深いものでした。せめて、私の人生も、まあよかったんじゃないの!と思えるように、これからの時を過ごしていきたいとしみじみ感じました。

サイエンスカフェ

卒業してから二十年余りがたち、久し振りに聴く後藤先生の話は眠りかけていた何かをチクチクと刺激し、日常の様々な悩みを温かく包み込んで下さいました。現代の大学生の実態を伺って、私も決して良い学生ではなかったなぁと。ただ二十年以上がたち、同じ先生の話がこんなにも心の深い所に響いてきて胸にストンと落ちたり、共感できるようになったのは、ただ何となく過ごしてきたと思っていた年月の中で私が出会った人々や、経験してきた事などが少なからず影響しているのではないでしょうか?

古田みぎわ(市民)

今回の講演では、大学生の話を中心としたものだったので、今の私にはまだ共感できない部分があったものの、現在の大学生の実態を知ることもでき、これから進路を決めていく上でとても参考となるお話でした。

古田祐理乃(市民)

服部幸造教授「戦国時代武将の文化活動-『月庵酔醒記』をとおして」

第1回 サイエンスカフェ 2007年6月17日(日)

テーマ:「戦国時代武将の文化活動-『月庵酔醒記』をとおして」

講師: 服部幸造教授

サイエンスカフェ

サイエンスカフェ

記念すべき第一回目は服部幸造先生の「戦国時代武将の文化活動」がテーマでした。今川了俊、太田道灌ら私も名前ぐらいは知っている武将たちが「文化人」としてはどんなことをしていたか、というような紹介があったのち、三河の国に出自の由来を持つ一式直朝(月庵)~のちに、幸手(さって:現在の埼玉県内)城主~というサムライが著した『月庵酔醒記』の話しに入りました。

この本は、一般の人間はもちろん、中世文学の研究者でもほとんど知られていない、読まれていない、読むのも難しく読んでもよくわからない、というないないづくしの書のようです。それをこのほど服部先生が注釈本として出版しました。もとはさほど長くないけれども、注釈にスペースを要して3巻本となる予定で、この4月にその上巻が出たばかりだそうです。誰もしてこなかった仕事だということで、6500円にもかかわらず割とよく売れているとのこと。

サイエンスカフェ

この書物は月庵さんが読んだり聞いたりしたというネタの、聞き書き抜き書きがほとんどで、著者のオリジナルなものなどほとんどない!、しかもくだらない内容ばかりだ!と服部先生はこっぴどくこきおろしながらも、当時(16世紀前半から末葉)の文化万般、すなわち芸能、俳諧などにはじまり、医術、武術や巷間説話などまで、ありとあらゆるジャンルについて網羅されているという意味では、文化の担い手だった公家・貴族たちの生活、風俗、遊びなどが活写されていること、そしてどちらかというとやんごとなき人々の文化の権威性が引き剥がされつつ、上から下へ、京から東国へと文化が伝えられていると解釈できそうだと解説されました。(いささか私流理解も混じっているかもしれませんので、ご注意を。)
服部先生の軽妙洒脱な語り口にもかかわらず、はじめのうちはやや硬い雰囲気もありましたが、一つふたつ質問がでるに及び、急速にサロンムードが高まり、質問や感想・意見が飛び交って、服部先生も適宜とぼけて下さるので、たいへんなごやかな空気につつまれるようになりました。

参加者は、19名。講師を含めて募集数の20名ジャストでちょっと少ないかなとも思われますが、規模的にはちょうどよい感じでした。それでも声が届きにくいという意見もあり、次回からは店側にマイクアンプを用意してもらえそうです。

有賀克明(同研究科教授)

浜本篤史准教授「ダム問題の社会学―変わる社会認識と変わらない問題構造、そして、新たな上下流間関係の模索へ―」

マンデーサロン 2007年6月11日(月)

テーマ:「ダム問題の社会学―変わる社会認識と変わらない問題構造、そして、新たな上下流間関係の模索へ―」

講師: 浜本篤史講師

今回のマンデーサロンは、本学に今年度着任されたばかりの浜本篤史講師(環境社会学)のご報告であった。フレッシュな先生のサロン登場とあって、早くから注目を集めていた。「ダム問題の社会学―変わる社会認識と変わらない問題構造、そして、新たな上下流間関係の模索へ―」と題して、ダム調査歴、ダム建設の概要、ダム問題の構成と問題構造、住民の位置関係、課題等をお話しいただいた。

浜本先生は1990年代後半から日本各地のダムや中国の三峡ダムを調査研究されている。本サロンではパワーポイントを使用して、ダム建設の現場写真や図表をもとに、ダム問題をわかりやすく丁寧に説明された。写真の中でも「旧徳山小学校」の落書き写真や「徳山ダムの建設中止を求める会」の写真が印象に残った。日本はダムの建設数が2,759にのぼり、世界でトップ5に入る「ダム王国」であるとのお話にも驚いた。

佐久間ダム(1956年完成)や黒部ダム(1963年完成)に代表されるように1950年代から60年代はダム建設の黄金時代であった。しかし、1990年代半ば頃からは「無駄な公共事業」として社会的批判を受けるようになったという。浜本先生は、私たちの記憶にも新しい2001年の長野県知事「脱ダム宣言」、2006年の滋賀県知事「ダム凍結宣言」などの例を示され、具体的にダム建設が冬の時代に突入したことを説明された。その背景には水需要の伸び悩み、治水効果への疑問、生態環境への影響、政・官・財の癒着構造による国民の不信感等がある。
また、ダム問題は局地的対立構造(事業者対予定地住民)から社会的に広域な展開(下流地域住民もその構造に参入)へと変化してきた。

浜本先生のお話で興味深かったのは、ダム計画をめぐる社会問題の変容と予定地住民との関係性であった。確かにダム計画をめぐっては、戦後直後から今日まで、社会問題の性格は変容している。しかし、たとえ「開発の時代」であっても「環境の時代」であっても変わらないのは、「水没予定住民」という犠牲者の存在が一貫して軽視されているということである。 住民が経験した精神被害やアイデンティティの問題も興味深かった。ダム事業というのは最低でも数年がかり、長期化すれば数十年かかる。住民との交渉・建設工事の遅延による事業の長期化が原因で、住民の中には「一体自分はこの何十年、何をしていたのか。自分は何をやっていたのか。」と「自分」の存在がわからなくなる人や精神が破綻する人もいるという。このほか家族問題の発生もあり、水没予定地にとっての現実経験は深刻である。今回のご報告から、ダムの公共性とは何かを考えさせられるとともに「公共事業は、犠牲となる水没地への配慮が必要である」ことを教えられた。

浜本先生は落ち着いた、爽やかなトークで、聴衆を魅了した。機会があれば中国の三峡ダムについてもお話を伺いたいと思う。環境社会学という学問を身近に感じた今回のサロンであった。

山田陽子(同研究科博士後期課程)

Page 26 of 28« First...10202425262728