古賀弘之准教授「抑うつ的音楽聴取に伴う気分の変化―抑うつ傾向と聴取音楽に対する好みの検討―」

第7回 マンデー・サロン 2007年5月14日(月)

テーマ:「抑うつ的音楽聴取に伴う気分の変化―抑うつ傾向と聴取音楽に対する好みの検討―」

講師: 古賀弘之准教授 

毎回入れかわり立ちかわり先生方から、全くの門外漢にもわかりやすく、それぞれのご専門の話を聞かせてもらえるマンデーサロンには、第一回から私はほとんど毎回参加させてもらっている。今回も気楽に参加したら、福吉先生から感想文を書くよう依頼されてしまったので、つたない文ではあるが敢えてここに感想を述べることとする。

今回は昨年度と大きく違ったことが二つあって、そのひとつは会場が広くなったことと、もうひとつは参加者の顔ぶれが一変したことであった。昨年度は人間文化研究所で、いつもお茶を飲みながら、サロンそのものアットホームでな雰囲気で行なわれていた。しかし本年度は広い会議室で開催され、参加者も増えた。というより参加者が多いと予測されていたから広い会議室でということであろうか。

実際確かに参加者は昨年度より多かったが、その顔ぶれは一変していた。それは一般市民とおぼしき方々の参加が多く、先生方の顔ぶれが昨年までとは少し違っていた。昨年常連だった多くの先生方のお顔がなく、ちょっとさびしかったし院生の参加が私一人だけだったのはもっとさびしかった。私はこの変化がよいとか悪いとか言える立場ではないのでコメントは差し控えるが、マンネリ化を嫌い、よりよいマンデーサロンにしようと努力されている先生方にはエールを送りたい。

つぎに今回の講演の内容について述べると、私の知的好奇心をおおいに満たしてくれた。もちろん私は音楽療法については全くの門外漢ではあるが、音楽は大好きである。好んで聞くのはクラシックで、作詞・作曲にも興味があり、自作曲を自分のホームページで公開したり、CDアルバムも自作したりしている。また、以前民間会社の研究室に勤務していたとき、QC(品質管理)活動の一環として不良製品の原因究明のため、分散分析や実験計画法を手がけたことがあった。つまり不良品の原因は作業者か、装置か、原材料か、など多数の因子が考えられる場合、ラテン方格を組んで実験計画を立てたりした。

本講演は学生がクラシック音楽を聴くことにより、どのように気分変化するのか、という内容であり、その手法として分散分析を使われたということが興味深かった。
最後に、かなり初歩的でしかも無遠慮な質問にもかかわらず、親切丁寧にお教えくださった発表者古賀先生に改めて感謝してペンを置く。

岩瀬彰孝(同研究科博士前期課程)

村井忠政教授「外国人労働者受け入れの日本型モデルを求めて~少子高齢化と人口減少社会にどう対処すべきか~」

マンデー・サロン 2007年2月5日(月)

テーマ:「外国人労働者受け入れの日本型モデルを求めて~少子高齢化と人口減少社会にどう対処すべきか~」

講師: 村井忠政教授

マンデーサロン2月5日、この二年間人間文化研究所の所長をお務めいただいた、村井忠政先生最後のマンデー・サロンが開催された。いつもとは異なり、場所を大会議室に移して、OHPを使っての講演が始まった。時折ユーモアを交えながら、多文化共生についての最新の研究動向が非常にわかりやすく紹介されていく。さすが!

タイトルは、「外国人労働者受け入れの日本型モデルを求めて~少子高齢化と人口減少社会にどう対処すべきか~」という、わが国にとっての喫緊の課題だ。しかし、このタイトルとは打って変わって、村井先生は外国人労働者の安易な受け入れに反対のようだ。それは、経済的理由を優先することによる負の側面として、解決しがたい人権問題がつきまとうからである。多文化共生の課題は人権問題であるという主張が幾度となく繰り返された。そして、過酷な生活を余儀なくされる外国人労働者の子どもたちが、十分な教育を受けられるようにする必要性があるとの言に力がこもった。ここには、先生が多文化共生にかける想いがよく現れている。「いまここにある危機」としての多文化共生という課題。その克服こそが将来の外国人労働者受け入れの試金石だということなのだろう。少なくとも私はそのように理解した。マンデーサロン
もう間もなく村井先生は名古屋市立大学を去られる。しかし、村井忠政氏個人のプロジェクトは始まったばかりである。あの人懐っこくも鋭い目が、僕たちにそう語りかけていた・・・。

 

小川仁志(同研究科博士後期課程)

松本佐保助教授「日露戦争と黄禍論の言説――日英関係における人種問題をめぐって――」

マンデー・サロン 2006年11月6日(月)

テーマ:「日露戦争と黄禍論の言説――日英関係における人種問題をめぐって――」

講師: 松本佐保助教授

マンデーサロン11月6日に開催されたマンデー・サロンは、黄禍論についてであった。私にとって、興味深かったのは、日英関係における人種問題を日露戦争の経過とイギリスの国際的状況から発表された点であった。

私は以前から人種差別問題に興味があり、黄禍論に興味を持っていた。ドイツ皇帝Wilhelm2世が「黄禍」を広めたといわれているが、実際には彼は下絵を描き、宮廷画家にあの有名な絵(1895)を描かせた。そのタイトルには、「黄禍」という語はなかった。“yellow peril”という言葉はアメリカで生み出されたという文献も読んだことがあるが、はっきりしないようである。その語の発生はともかく、「黄禍」というスローガンが与えた影響は大きく、容易にアジア系アメリカ移民は差別の対象となった。イギリスでは1822年に、リチャード・マーチン議員の活動により、「畜獣の虐待および不当な取扱いを防止する法律(マーチン法)」が成立した。ウマ、ロバ、ラバなどがその法律の対象とされた。しかし、イギリスは植民地において、人間を畜獣以下に取り扱った。アメリカで、マジョリティであったイギリス系アメリカ人は奴隷制度を長期に渡り実施し、アジア系移民を安い労働力として特に危険な作業に従事させ、今日の発展を遂げた。畜獣を保護する一方で、人間を搾取していた当時のイギリス系の人々をどのように理解したらいいのであろうか。

9・11以降、「宗教の違い」がクローズアップされている。宗教の違いは確かにあるであろう。しかし、secularな私は、経済的や政治的な要因が様々な問題を大きくしていると感じている。古代から、人間は未知なものに対し恐怖心や羨望を抱き、学者や時の指導者は何らかのスローガンを打ち出してきた。一旦生まれたスローガンやステレオタイプ的観点は一人歩きして、想像も出来ない方向に向かうこともある。たとえ、そのスローガンが国際的に否定されても人々の心の中には残像が存在する。今は情報源が多岐に渡っているが、判断するのは人間である。「黄禍論」研究はテロ対策、北朝鮮(DPRK)問題にも関与する研究であると感じた。発表者である松本先生の博士論文のテーマは19世紀の宗教と国際問題とのこと、次回は宗教の観点からのお話を伺いたいと思いました。

房岡光子(同研究科研究員)

吉田一彦教授「古代の民衆像を再考する」

マンデーサロン 2006年10月2日(月)

テーマ:「古代の民衆像を再考する」

講師: 吉田一彦教授

マンデーサロン月に一度、第1月曜日に開催される「マンデーサロン」も3回目となった。今回は吉田一彦教授を講師に「古代の民衆像を再考する」と題しての講義である。「民衆の古代史―『日本霊異記』に見るもう一つの古代」のタイトルで、著書が風媒社から刊行されたのはこの4月のこと。「ストレスがたまると原稿が進むんですよ」という教授の話は、「日本霊異記」から始まった。遭難した漁民、勝手に出家した私度僧、強欲な金貸しなど市井に生きる人々の暮らしぶりが生きいきと描かれている日本最古の仏教説話集である。かつてはただのものがたりだと思われていたこれらだが、幾多の木簡の出土や遺跡の発掘によって、信頼に足る史料だと吉田教授は確信したという。「山川出版の日本史にはたしか『律令国家の成立』という章立てがありますよね」との問いかけに深く頷く参加者たち。

「律令国家」とは、古代国家の一形態で、律令を統治の基本法典としたもの。巨大な官人群を擁し、人民に班田収受によって一定面積の耕地を保障する代わりに、戸籍につけて租・庸・調・雑徭など物納租税や徭役労働を課し、個別人身支配を徹底した。日本では隋・唐に習って7世紀半ばから形成され、奈良時代を最盛期とし、平安初期の10世紀頃まで続いた。(広辞苑より)  「日本霊異記」に記される古代社会の実態は、律令の定める国家の姿とは大きく異なっていることをどう説明したらよいのだろうかと教授は続ける。まずは古代国家が「法に基づく国家」なのかどうかを再考すべきであり、「法の支配ではなく、人(天皇)の支配に基づく国家」ではなかったかと吉田説が展開する。古代史パラダイムの転換である。

つい先日、島根で平安初期の「唐風女性像」の板絵が発掘された。千年以上も埋もれていたタイムカプセルからはどんなメッセージが読み解かれるのだろう。まったくの初心者の想像力をかくも刺激する、スリリングで贅沢な時間をいただいた。次回「マンデーサロン」の開催が待たれるところである。

重原厚子(同研究科博士前期課程)

福吉勝男教授「使えるヘーゲル」 

マンデー・サロン 2006年7月3日(月)

テーマ:「使えるヘーゲル」

講師: 福吉勝男教授

7月3日月曜日。第2回目の開催となった「マンデー・サロン」は、研究所の椅子が足りなくなるくらいの盛況ぶりであった。講師は福吉勝男教授。言わずと知れた、ヘーゲルをはじめとしたドイツ哲学の専門家である。つい最近平凡社新書より刊行された著書『使えるヘーゲル 社会のかたち、福祉の思想』について直々に話が聴けるとあって、多くの教員、院生らがこの本を片手に半ば興奮気味に集まってきた。

実際には、福吉教授の話はこの本の単なる内容紹介というよりも、それを今後さらに発展させ、展開するうえでのラフスケッチを示すことを中心に進められた。題して「現代の〈公共哲学〉とヘーゲル」。ヘーゲルの市民社会論に公共圏を見出し、現代の公共性をめぐる一連の議論、あるいはトクヴィル、アーレント、ハーバマスといった思想家のそれと比較を試みた興味深い内容である。「この発見が一体どう活かされるのか?」表現は様々であったものの、参加者からの質問はこの一点に集中したように思われる。

マンデーサロンこれに対して提示された答えは、「〈市場-公共〉リンク市民社会論」という全く新しい概念であった。その中身は明確には示されなかったが、誰もが自分の手でそれを探り出したくなるような誘惑にかられていたことだけはたしかである。ヘーゲルへの誘い。福吉教授の意図は実はそこにあったのかもしれない・・・。

小川仁志(同研究科博士後期課程)

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