土屋有里子准教授 「〈あの世〉の光景-文学表現から考える-」

第68回サイエンスカフェ 2014年12月20日(土)

講師 : 土屋有里子先生

テーマ : 「〈あの世〉の光景-文学表現から考える-」

サイエンスカフェで土屋先生の講演を聞くことになった。私は初めてサイエンスカフェに参加したので、当日にお菓子や飲み物付きとあって、いい雰囲気で興味深い講義を聞いているのは幸運だと思う。

ご講演では、『古事記』の世界を始め、『万葉集』の和歌や中国的な仏教説話集『日本霊異記』や『今昔物語集』や『往生要集』など様々な書物を用いて、<あの世>の光景を文学表現からご紹介された。古典文学の『古事記』には黄泉国が地下ではなく、「黄泉ひら坂」の向こうにあると受け取られる。中国の道教には泰山府君の説がある。仏教が中国に伝わった前に、人は死んだ後泰山府君のところに行って審判を受ける。このように、日本にしても、中国にしても、元来黄泉国は地下ではなかった。極楽往生に関する重要な文を集めた『往生要集』に地獄の世界を詳しく説明している。

死は誰でも回避することのできない宿命だと思う。人が死んだらどこに行くのか。あの世はどんな世界であるか。誰でも考えたことがないと言えないだろう。今回のご講演を聞くことができたのは幸いだと思う。

姚巍巍(ヨウギギ)(本学人間文化研究科前期課程院生)

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「人間文化研究叢書 4 ノーマン・M・ナイマーク『民族浄化のヨーロッパ史 : 憎しみの連鎖の20世紀』(山本明代訳、刀水書房, 2014年)合評会」

マンデーサロン 2014年11月17日(月)

講師 : 山本明代先生 奥田伸子先生 松本佐保先生 平田雅己先生

テーマ : 「人間文化研究叢書 4 ノーマン・M・ナイマーク『民族浄化のヨーロッパ史 : 憎しみの連鎖の20世紀』(山本明代訳、刀水書房, 2014年)合評会」

今回のマンデーサロンに参加した理由は二つありました。まずは、最近観た映画のうちで最も印象に残っている『最愛の大地』(監督:アンジェリーナ・ジョリー)が、ボスニア紛争中の性暴力の根絶をテーマにしていたからです。この映画は、友人、隣人として仲良く暮らしていた人々が、ある日突然、攻撃しあうという内容であり、まさに民族浄化を描いていました。その民族浄化を今回のマンデーサロンでは学問的に考察している書籍の合評会であることに興味があったからです。二つ目は、現在、受講している山本明代先生のアメリカ社会論が取り扱っているマイノリティ、差別、ジェンダーなどの理解に役立てたいと思ったからです。

今回のマンデーサロンでは、山本先生が翻訳された図書を解説されたが、ヨーロッパの民族浄化というあまりなじみのない内容にもかかわらず、冒頭に翻訳された動機や出版の意義を説明されたので、導入部分の理解がしやすかった。さらに先の東日本大震災で避難を余儀なくされている事例を民族浄化や強制移住と比較して解説いただいたので、民族浄化が遠くヨーロッパのみで起っている問題ではなく、それぞれの背景こそ異なるものの、日本においても類似の被害の問題を抱えていると指摘いただいたことで理解が進んだ。

今回の受講を通して、私には地元の事例として岐阜県の徳山ダム建設事業に伴う農村地域から地方都市への政策的な人々の移動が民族浄化の強制移住と重なって映った。徳山ダムに関しては、本書でいう民族浄化が異質な集団を排除するという定義には該当しないものの、住み慣れた土地を離れざるを得なかった点では共通している状況で、故郷を追われた方々がその後の人生を豊かに過ごしておられるかは疑問が残るところです。
いずれにしても、今回のマンデーサロンに参加してヨーロッパの民族浄化の理解に近づくことができたことは私にとっては大きな収穫でした。

交告(こうけつ)俊夫(人文社会学部 科目等履修生)

マンデーサロン

土屋有里子准教授 「文学表現に見る日本人の他界観」

マンデーサロン:2014年10月20日

講師 :土屋有里子准教授

テーマ: 「文学表現に見る日本人の他界観」

現代日本人である私たちは無意識のうちに他界観というものを持っている。それが具体的な世界でなくとも、私たちは死後の世界があることは認めていると思う。今回の土屋先生のご報告は、このような日本人の他界観が形成された過程を、文学表現から読み解こうと試みた、とても興味深いものであった。

ご報告では、『古事記』『万葉集』『日本霊異記』『今昔物語集』『往生要集』といった様々な書物を用いられ、そこに描かれている他界観を時代に沿って紹介された。八世紀の書物である『古事記』には死後の世界である黄泉の国の話がある。そこには黄泉の国が地上の坂の向う側にある世界のように描かれており、日本古代の平面的他界観が読み取れる。しかし、現代人は平面的他界観を持っていないだろう。その理由は仏教の影響が強いからだという。仏教的他界観では上には浄土があり、下には地獄がある。この仏教的他界観が日本古代的他界観に入り込むことによって現代に通じる他界観が形成されていったらしい。質疑応答では世界の宗教との比較はどうなのか、といった世界的視角からの質問が出た。だが、日本文学の分野で仏教以外の宗教との比較研究はまだ進展しておらず、将来の課題らしい。

歴史上、仏教が日本に与えた影響は数えきれない。現在になっても日本のあらゆる場所で仏教の影響を見ることができる。今回のご報告は日本の歴史を読み解くには仏教は外すことのできない要素であることが浮き彫りになった有意義なものであった。

手嶋大侑(本学研究科博士前期課程院生)

マンデーサロン

ジェームズ・バスキンド先生 「日本思想史における不干斎ハビアン-位置づけの問題を中心に」

サイエンスカフェ:2014年10月18日(土)

講師 : ジェームズ・バスキンド先生

テーマ : 「日本思想史における不干斎ハビアン-位置づけの問題を中心に」

16世紀後半から17世紀始めにかけて、日本宗教界で特異な存在であった「不干斎(ふかんさい)ハビアン(1565-1621?)」とその著書『妙貞問答』について、名市大ジェームズ・バスキンド准教授(日本仏教研究)の講演を聞くことになった。

ハビアンといっても元は臨済宗(らしい)の日本人禅僧である。ところがキリシタンに改宗し、仏教十二宗派や神道、道教など日本のあらゆる宗教勢力をキリシタンの立場からメッタ切りする。それが『妙貞問答』で、二人の尼僧の問答体になった教書(カテキズモ)である。そこでは、「仏教・儒教・神道は「無」・「空」に基づき、後生の助けにならない」として、キリスト教の絶対「有」の神と魂の救済をもって批判を展開する。まさに比較宗教学の先駆者だろう。
ところが、ハビアンは1584年から20年間、イルマン(修道士)としてすぐれた弁舌で多くの信者を魅了するが、1608年突然、ひとりの修道女を連れてイエズス会を脱会、棄教する。さらに1620年には『破提宇子(ハデウス)』を著し、仏教の「無(空)」を「妙なる有」であると擁護し、キリスト教批判に向かうのである。この転回は謎である。

米オハイオ出身のバスキンド氏は、少々早口だが、じつにていねいに『妙貞問答』を説いていく。幕府誕生前後の混乱の中、突如あらわれた異形の宗教者像にひた迫ろうとする氏の生真面目さは、好感を呼んでいた。

城 浩介(「市民学びの会」会員)

サイエンスカフェ

ジェームズ・バスキンド先生「江戸初期のキリスト教の改宗者・棄教者、不干斎ハビアンの日本思想史上の位置づけをめぐって」

マンデーサロン 2014年9月29日(月)

講師 : ジェームズ・バスキンド先生

テーマ : 「江戸初期のキリスト教の改宗者・棄教者、不干斎ハビアンの日本思想史上の位置づけをめぐって」

今回、バスキンド先生の講義を通じ不干斎ハビアンの生涯と思想的変遷を知り、私には2つのことについての思いが去来しました。

1つは、ハビアンの主著である『妙貞問答』の中でも問題となるキリスト教的な立場である神を中心とした絶対的な「有」の立場と、仏教の主張する「無」・「空」・「因縁」などを内容とした相対主義の立場との争いについてです。この古くて新しい問題は今も現実世界の中で、様々な現象を呈しているように思います。例えば、現在の経済におけるグローバリズムに対しての、国際政治におけるウクライナ問題やイスラム問題というような、グローバリズム対ローカリズムの対立現象としてなど。

私自身、経済のグローバリズムが生む格差や貧困や、そうした現象を正当化する新自由主義的思潮に対する素朴な疑問を感じ、その疑問についてのヒントが得られないかと日本仏教の歴史の研究を志向し、仏教の原理的な点での相対主義・寛容主義が、多くの争論の場における平和的解決に資するのではないかと今は感じています。バスキンド先生を紹介する新聞記事の中でも述べられていましたが、「自」と「他」・「絶対」と「相対」についての寛容的立場が必要ではないかと感じた次第です。

今1つは、ハビアンが晩年に著した『破提宇子』の中で、『妙貞問答』における当初の思想的立場を破棄し、反キリスト教に向かうこととなった晩年のハビアンの心境は如何なるものであったのか。老境となり、人は人生に何を感じるのかということについての興味です。そうしたことを考えさせてくれた有意義な講義でした。

高田 諭(本学人間文化研究科前期課程院生)

マンデーサロン

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