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久保田健市准教授「血液型性格論のホントのトコロ」

第6回  サイエンスカフェ 2007年11月18日(日)

テーマ:「血液型性格論のホントのトコロ」

講師:久保田健市准教授

サイエンス・カフェ
まずはこのような機会を見つけ、参加できたことがうれしかったです。自分が社会人になってから、2部の大学へ通っていた頃の、他の大人たちと一緒に何かを学んだり考えたりする空気に触れた気がして、始まるまでの緊張感と好奇心とでうれしくて仕方ありませんでした。とても楽しく2時間が過ぎていきました。時間があっという間に過ぎてしまってので、他の参加者の意見や感想などの交流する時間が少なくなってしまったことが残念でした。

血液型性格論というところでは、自分自身仕事の関係で一緒になった人としゃべっていて血液型の話になると、漠然とこうかなと思うとあたることが多々あるため、実際のところの何か因果関係があるのではないかと考えるようになりました。ただ、なぜその血液型はそうなのか、具体的に考えていくと生物学的なところに入っていき、血液と脳のそれぞれの機能と関連など、知らないことが多すぎて想像することもできません。そうしたときに、そもそも血液型ABOの分類自体について、血液の種類は4つの種類があると思っていたけれど、そう考えるのではなく「Aか、Bか、AとB両方あるのか、AとBどちらともないのか」と、すべての血液は、2種類の4分類と考えるんじゃないかと。
サイエンス・カフェ
そう考えたときに、すべての血液を2種類の4分類したものに対して、性格も同じように、すべての性格を2種類の4分類したうえで、血液型と性格との相関関係を考えなくてはいけないとすると、ではその性格の定義はなにか?というところが大事なのではないかと。そして性格をどう計るのかという問題も考えられます。 結局本人としては自分の性格をこう思っているけれど、周りから見たら「あなたこうでしょう」という
ところは十分考えられ、その周りの人の意識についてもその人がどうゆう性格意識をもっていて何と比較してその本人に「あなたはこうでしょう」と思ったか、までを含めて考えないと性格をうまく計ることが難しいといえるのではないかと。
ただそうまでして血液型と性格をつなげて、意味があるのかと考えると、結局ふだんの会話のネタ程度ぐらいしか意味がないかと思うと探究心も萎えてしまいます。逆に今回の話であったように、それによる差別や偏見などにつながるなら、そのままブラックボックスのまま「当たるときもあれば、はずれるときもある」でいいのかなと思いました。

服部 正(市民)