Archive for 4月, 2012

阪井芳貴教授「復帰40年を迎える沖縄から見えるもの」

49回サイエンスカフェ 2012年4月15日(日)

講師:阪井芳貴教授

テーマ:「復帰40年を迎える沖縄から見えるもの」

サイエンスカフェ

今年の5月15日で1972年に日本へ本土復帰してから40年を迎える沖縄。その日を迎える前に改めて、沖縄文化研究ご専門の阪井教授のお話しをお伺いしたいと思い参加した。当日、会場には思いを同じくする人が多数出席され、活発な質問・意見交換もなされ有意義な時間となった。

私自身は名古屋生まれの名古屋育ちでありながら、仕事や家族関係を通じて沖縄に関わってきた。好きがこうじて沖縄に何度も通った時期もあり、現在も沖縄文化研究会に参加するなど、沖縄の文化・風習・歴史について深く知りたいと思い続けている。しかしながら、今回のサイエンスカフェも含め、沖縄について考える会に参加するたびに自分の理解の浅さにあらためて気づかされる。沖縄は知れば知るほど、奥が深い。以前読んだ“沖縄を知る事は自分を知ることである”という記事に「自分自身が何もわかっていなかったことに気づくこと。矛盾と葛藤を抱えた沖縄の歴史と今を知る事は、日本を考えることにつながる」と綴られていた。真実を突いていると思う。

阪井先生のお話で、最初に心に響いたのは、琉球王国が1879年の琉球処分まで450年にわたり小さいながらも独立を保ち続けた王国である事実を、今の沖縄が大きく自覚し誇りに思っている事である。徳川幕府の300年と比較しても、その年月の長さは並々ならぬ偉業であると気づかされる。それを琉球の人々は今でも静かに誇りに思い、「日本とは違うんだぞ」との意識を伏流的に持っている事実を好ましく思った。沖縄には独特の方言がありそのチャンプルー文化は日本とは全く別の独自の側面が強い。そこに私は惹かれてきたし、沖縄の人が自分たちの琉球に静かに誇りを抱いていると知り心躍った。

沖縄で、今も地下水脈のように現在も流れ続けている『沖縄(琉球)独立論』についても言及され、最後の質問コーナーでも改めてその点が問われた。“現在も「復帰してよかったのか。独立すべきではないのか」の声が強いのは何故なのかを我々(ヤマト)の問題として考えるべきである”との阪井先生の指摘にはハッとさせられた。“沖縄の人々が根深く持っているマグマ”に目を向けること。私たちヤマトの人間が、近代・現在を含めた歴史を踏まえ、“率先して沖縄で起きている現実にアンテナを張っていく大切さ”を改めて先生は説かれた。それは、沖縄を通して見えてくるこの国のありようを、目をそらさず、見つめ続け、考え続ける役割を今のヤマトに住む大人たちが担っているという事に他ならない、と先生は結ばれ、深く考えさせられた。

例えば、「山梨県・岐阜県にかつてあった海兵隊の基地が徐々に沖縄に移って行った事実を、現在の各県の大人達はどれくらい知っているか。こういう事実をヤマトンチューがもう一度思い出す事の大切さ」について触れられた。ベトナム戦争、湾岸戦争、911以後のアフガン・イラクでの戦争で、常に沖縄のアメリカ軍基地は戦闘機が出発する最前線基地であった。ベトナムには、沖縄を“悪魔の島”と見なしている人々がいると聞いた事がある。いつしか間接的に戦争の加害者の立場になっているのだという自覚を、私たち本土の人間は持てているだろうか。言うまでもなく、観光が沖縄の唯一無二の基幹産業である。『癒しの島』というイメージは快く受け入れられても『戦争が見える島』には誰も行こうとは思わない。“戦争”と“癒し”のギャップをどうするのかを我々自身が迫られていると、先生は問いかけられた。普段のほほんと暮らしている自分に、その視点は欠けている。忘れがちだ。折に触れ、喚起させられないと忘れてしまいがちな事実であると覚えておかなければ、と切に思った。

文部省唱歌“蛍の光”が、実は軍国主義そのもののとんでもない歌であったとお話しにありとても驚いた。子ども時代から当然のように歌ってきた曲だ。衝撃的だった。蛍の光は実は4番まであり、その一節『千島の奥も 沖縄も 八洲(ヤシマ=日本本土)の内の 守りなり』は、「千島列島・樺太・沖縄は北海道から九州までの日本国を守るためにあり軍事的な防人である。」と唄っているという。そういう歌を何の疑問も感じず、子ども時代の自分は普通に歌っていたと知り、愕然としてしまった。

復帰からの40年は、日本政府の沖縄振興策によって沖縄の人々に依存体質を作り上げていった40年間でもあったこと、そして教科書問題をはじめとする昨今の動きに見られる沖縄内部の保守化は何を意味するのかのお話しは非常に印象深く自分の中に残った。沖縄は、琉球王国時代から経済的に弱い立場だった歴史を踏まえて、人々はしたたかにならざるを得なかった事。どこに近寄り、頼りにしていけば生きていけるのかを、常に模索して日和見的に生きざるを得なかった事を学んだ。

阪井先生の今回のお話しを通して、自分がやはり沖縄を愛し、沖縄の人々に深く尊敬の念を抱く気持ちを禁じえない事に改めて気づいた。そういう意味でも有意義な機会であった。 その自分の気持ちに背かぬ為にも、あきらめずに考え続ける姿勢を持ちたいと思っている。
サイエンスカフェのような取り組みは、『考える』事が仕事である大学が、社会に還元する形として非常に意義深いと思う。学内の大学生のみならず社会一般に、考え続ける機会を提供し、思考停止に陥りやすい状態・性質にストップをかけてくれる。その為に努力を惜しまない阪井先生をはじめとする先生方に敬意と感謝の意を表したい。

比嘉 綾(市民)