Archive for 10月, 2007

ランジャナ・ムコパディヤーヤ准教授 「日本の社会参加仏教 」

マンデーサロン 2007年10月22日(月)

テーマ: 「日本の社会参加仏教 」

講師:ランジャナ・ムコパディヤーヤ准教授

マンデーサロンまずは ランジャナ先生のエネルギーにあふれた熱のこもったお話ありがとうございました、また先生力作の書『日本に置ける社会参加仏教―法音寺と立正佼成会の社会活動と社会倫理―』に贈られた二つの賞の受賞おめでとうございます。そして毎々マンデーサロン運営にあたられる諸先生,スタッフの皆さんご苦労様です。マンデーサロンは私にとりましては、浅学を少しでも補うべく、絶好の機会と思い積極的に参加させて頂いております。前期は残念ながら、授業の関係で出席させていただくことができませんでしたが、後期はまた末席をけがさせていただきたいと思っております。
当日のサロンの内容である「社会参加仏教」についてでありますが、今私の研究テーマであります18世紀ヨーロッパの寛容思想とも少々関連あるテーマであり、興味深く聞かせていただきました。当日別所先生からも質問がありましたが、国家の義務としての福祉政策と宗教団体の慈善活動との関係をどのように理解していくのか? また教義の実践なのか?単なる道徳的意味合いから来る社会的弱者救済活動なのか?宣教活動が本当に裏側にはないのか? などまだすっきり理解できないところもあります。 近代民主主義国家において、普遍的思想に位置付けられる「政教分離」思想、またフランス国家の「(宗)教・教(育)分離」政策などと考え合わせ、宗教団体の持つ社会的パワーが無視できない強さがある限り今後深く検討しなければならないテーマと感じました。
最後にランジャナ先生への直感的質問で申し訳ありませんが、エンゲイジド・ブッディズムにおきましては、救済活動の対象者となる社会的弱者の出現原因、救済活動などの対処的なものでなく原因解決などはどのように捉えているのでしょうか?

服部篤睦(博士前期課程院生)

森田 明教授「詩人BENNの”詩と真実” -1933年のナチ加担について」

第5回 サイエンス・カフェ 2007年10月21日(日)

テーマ: 「詩人BENNの”詩と真実” -1933年のナチ加担について」

講師: 森田 明教授

サイエンスカフェ最初にコーヒーとケーキ・フルーツが運ばれ、司会者の講師紹介があり、本日のテーマ「1930年代のドイツの文化―異色の詩人ゴットフリート・ベン」について講義(というよりも分かりやすいお話)が始まった。

詩人ベンへの熱い思いを込めたお話が進むに連れて、まさにドイツ語で言うゲミュートリッヒカイト(Gemiitlich Keit)(くつろぎ・安らぎ)の雰囲気が漂う。文学でも門学・美術でも芸術家の作品は、その人の気質・性格、あるいは生い立ち・環境の影響を大きく受ける。エピソードを多く交えながら、詩人ベンの各作品とその背景が語られる。詩そのものよりも、まずこの詩人への関心が高まり、あとで具体的に彼の詩を読んでみようという気持ちにさせられる。ハイネ・ミラー・リルケらの抒情的詩人とは全く異なり表現主義的詩人と言われるベンについて、これは難解な話になるのでは、とはじめは予想していた。しかし、彼の作品に直接接したいという意欲がわき起こるのは、この催しに参加した意義を痛切に感じる。

サイエンスカフェ2時間でもまだ足りない。もっと参加者の質問・対話・議論の時間があるとさらに楽しいものになっただろう。
この催しも「市民学びの会」のどんな催しも、先生たちの研究内容を聴くだけでなく、自由な討議や交流がなされることも重要であろう。いずれにしても社会に開かれた大学として名古屋市立大学の益々の発展を願ってやみません。

寺岡信之(「市民学びの会」会員)

福吉勝男教授「<ドイツ国制の近代的改革とヘーゲル>、そしてベルリンの今」

マンデーサロン 2007年10月15日(月)

テーマ: 「<ドイツ国制の近代的改革とヘーゲル>、そしてベルリンの今」

講師: 福吉勝男教授

10月のマンデーサロンは、福吉勝男教授の「今日のヘーゲル研究とベルリン訪問」がテーマであった。

今回のベルリン訪問は氏にとって1994年の国際学会に参加以来の13年ぶりであったとのこと。ドイツの変貌、とりわけ東西ドイツの融合が進む中で、ベルリンの壁のみならず、生活の上でも制度の上でも壁が撤去され、融和が進んでいる状況が語られた。そのお陰で、今回の訪問の目的であったヘーゲル研究のための資料収集がとてもスムーズに行えたと言う。ドイツはいい方向に向かっているというのが氏の感想だった。

さて、今回の資料収集は「ヘーゲル国家論の謎」の解明のためだった。ヘーゲルの国家論は『法哲学講義要綱』に書かれているが、そこには謎が存在するのである。市民が市民の自覚をもって社会を形成し、その市民が市民社会を豊かに発展させるために国家を展望する姿と、それにふさわしい国家のあり方(機構・制度)を述べると言いながら、その国家論には不可解な点があって、市民の自治的・自主的活動の姿を「市民社会」論において最高に示しながら、「国政」論ではそれにふさわしいものとはせず、むしろこれに先立つ彼の国家理解から後退しているのである。この謎である。

この謎はどうして生じたのだろうか。現代のところは、政治反動を目の当たりにしてヘーゲルが自己規制をしたと推定されている。しかしこの推定は正しいのだろうか。今回のドイツ訪問は、ヘーゲルがベルリン大学の総長としてプロイセン改革に協力した相手の宰相のシュタインやハルテンベルクの国家改革構想の見解との対比で、この謎に迫ってみようということでなされたわけである。

シュタインのものでは、1807年9月の「ナッサウ覚書」、1807年10月の「10月勅令」、1808年11月の「都市条例」を、ハルデンベルクのものでは、1807年9月の「リガ覚書」を入手することが出来たと言う。翻訳をしてこの謎解明に努力したいとのこと。期待しよう。

久田健吉(同研究科研究員)