Archive for 6月 13th, 2007

浜本篤史准教授「ダム問題の社会学―変わる社会認識と変わらない問題構造、そして、新たな上下流間関係の模索へ―」

マンデーサロン 2007年6月11日(月)

テーマ:「ダム問題の社会学―変わる社会認識と変わらない問題構造、そして、新たな上下流間関係の模索へ―」

講師: 浜本篤史講師

今回のマンデーサロンは、本学に今年度着任されたばかりの浜本篤史講師(環境社会学)のご報告であった。フレッシュな先生のサロン登場とあって、早くから注目を集めていた。「ダム問題の社会学―変わる社会認識と変わらない問題構造、そして、新たな上下流間関係の模索へ―」と題して、ダム調査歴、ダム建設の概要、ダム問題の構成と問題構造、住民の位置関係、課題等をお話しいただいた。

浜本先生は1990年代後半から日本各地のダムや中国の三峡ダムを調査研究されている。本サロンではパワーポイントを使用して、ダム建設の現場写真や図表をもとに、ダム問題をわかりやすく丁寧に説明された。写真の中でも「旧徳山小学校」の落書き写真や「徳山ダムの建設中止を求める会」の写真が印象に残った。日本はダムの建設数が2,759にのぼり、世界でトップ5に入る「ダム王国」であるとのお話にも驚いた。

佐久間ダム(1956年完成)や黒部ダム(1963年完成)に代表されるように1950年代から60年代はダム建設の黄金時代であった。しかし、1990年代半ば頃からは「無駄な公共事業」として社会的批判を受けるようになったという。浜本先生は、私たちの記憶にも新しい2001年の長野県知事「脱ダム宣言」、2006年の滋賀県知事「ダム凍結宣言」などの例を示され、具体的にダム建設が冬の時代に突入したことを説明された。その背景には水需要の伸び悩み、治水効果への疑問、生態環境への影響、政・官・財の癒着構造による国民の不信感等がある。
また、ダム問題は局地的対立構造(事業者対予定地住民)から社会的に広域な展開(下流地域住民もその構造に参入)へと変化してきた。

浜本先生のお話で興味深かったのは、ダム計画をめぐる社会問題の変容と予定地住民との関係性であった。確かにダム計画をめぐっては、戦後直後から今日まで、社会問題の性格は変容している。しかし、たとえ「開発の時代」であっても「環境の時代」であっても変わらないのは、「水没予定住民」という犠牲者の存在が一貫して軽視されているということである。 住民が経験した精神被害やアイデンティティの問題も興味深かった。ダム事業というのは最低でも数年がかり、長期化すれば数十年かかる。住民との交渉・建設工事の遅延による事業の長期化が原因で、住民の中には「一体自分はこの何十年、何をしていたのか。自分は何をやっていたのか。」と「自分」の存在がわからなくなる人や精神が破綻する人もいるという。このほか家族問題の発生もあり、水没予定地にとっての現実経験は深刻である。今回のご報告から、ダムの公共性とは何かを考えさせられるとともに「公共事業は、犠牲となる水没地への配慮が必要である」ことを教えられた。

浜本先生は落ち着いた、爽やかなトークで、聴衆を魅了した。機会があれば中国の三峡ダムについてもお話を伺いたいと思う。環境社会学という学問を身近に感じた今回のサロンであった。

山田陽子(同研究科博士後期課程)