Archive for 6月 21st, 2008

太田昌孝さん『西脇順三郎と小千谷-折口信夫への序章』

第15回 マンデーサロン 2008年6月16日(月)

テーマ: 『西脇順三郎と小千谷-折口信夫への序章』

講師: 太田昌孝さん(博士後期課程・一宮女子短期大学専任)西脇順三郎と小千谷-折口信夫への序章

西脇順三郎という詩人をどれほどの方が御存じなのでしょうか。かく申す私は、近代文学を修行中の身でありながら、そういえば「詩と詩論」メンバーの中に見かけたかしら、という程度の認識しかなく、正直なところ、広範な近代文学史の中の一人に過ぎませんでした。しかし昨年、課題研究において西脇の斬新な詩に触れ、大いに面食らったと同時に、このような詩を綴る西脇という詩人は一体どういう人物なのだろうと、興味をそそられたものでした。その好奇心に答うるべく、太田さんは今回、最近見つかったという新資料「西脇義一郎日記」をもとに、西脇の文人としての基礎固めに当たる英国留学の時期にスポットを当て、西脇の人となりを中心に、熱く語って下さいました。

まず初めに、従来の西脇研究の傾向として、主に西欧文学からの視点と、日本詩壇における「西脇詩学」や先駆的な詩論展開など、「モダニズム」の先駆者としての視点という2項目を挙げられました。しかし一方で、西脇は中国哲学や日本文学にも傾倒しており、特に後年の芭蕉への傾倒が甚だしかったことを指摘され、この新たな視点を今後のご自身の課題として示されました。

そしていよいよ新資料が紹介されました。「義一郎日記」が西脇研究にとってどこまで有意義かはわかりませんが、という控えめな前置きがなされましたが、当資料から判明した新事実は、どれも興味深いものばかりでした。日記により、これまで曖昧だった渡英年月日が明らかになったのみならず、渡英までの西脇の行動の詳細もまた明らかになったというものでした。

7月6日から10日までの数日間、船の出入港にあわせ、複数の西脇家分家にて送別会が行われ、特に義一郎氏は陸路西脇を追いかけ、合計4か所ほどで彼と合流し、行動を共にしていた事が判明しました。このことから、西脇一族の結束の強さ、義一郎氏との親密な間柄をうかがい知ることができました。そして、さらに興味深い事実として、この限られた時間のなかで、義一郎氏に促され、二人は京都、奈良を共に巡り、元来苦手だった大仏まで拝観していたことも判明しました。当時の洋行は死と隣合わせであったことから、決死の洋行の前に西脇が最後に見ようとした日本が京都、奈良であったのだろうという点を指摘され、新進の英文学者が異質ともとれる古都にひかれた点に着目されました。そして、この時垣間見られた古都への想いは、後年中国哲学、日本文学への傾倒という形で表面化することも示唆されました。

この他、教師としての西脇の逸話も多数紹介されましたが、いずれもにわかに信じがたいほどの奇行であり、場内笑いが堪えませんでした。
太田さんは、西脇の詩を老人の戯言とみる風潮が詩歌の研究者の中にもある現状に対し、大変な「誤解」であり、それを解いて見せることが目標だとおっしゃいました。優れた翻訳家としての西脇ではなく、優れた詩人としての西脇を再評価するのは、日本文学をご専門とするご自身の仕事であるという、強い責任感のようなものを感じました。

西脇研究の第一線で活躍されている太田さんのご報告は、その深さにいつも圧倒されますが、楽しい逸話も多数織り交ぜてくださるので、和やかなひと時となり、今回もあっという間に時間が過ぎてしまいました。同じ文学を志す者として、遥か先を行かれる身近な先輩に、毎回良い刺激をいただいております。以前課題研究に行き詰まり、「とんでもないことを始めてしまいました」と申し上げたところ、太田さんから「研究は一度始めたらもう戻れないよ」との温かい(?)励ましのお言葉をいただいたこともあり、私の大学院生活の指針となっております。 今後のご報告も楽しみにいたしております。

富永加代子(人間文化研究科博士前期課程)