藤田栄史教授「子ども・若者にやさしいまち名古屋をつくる―子ども・若者・子育て家庭の貧困・困難と支援政策を再考する―」

52回サイエンスカフェ 2012年7月22日(日)

講師: 藤田栄史教授

テーマ: 「子ども・若者にやさしいまち名古屋をつくる―子ども・若者・子育て家庭の貧困・困難と支援政策を再考する―」

サイエンスカフェ
はじめてサイエンスカフェに参加させていただきました。大勢の方が参加されており、関心の高さにちょっと驚き、どんな方々なのか、知りたい気がしました。

私自身は、自分の子育てが始まったときからこのテーマに関心を持ち続け、仲間をつくって子どもによい環境をつくる活動を続けています。いまの名古屋市が子育てしやすいと思っているわけではありません。社会は変わるし、必ずしも良くなっているとは言えない。でも、良くなる道筋をつけて行くのは、今を生きる者としての務めではないかと思っています。サイエンスカフェ

藤田先生のお話は、テーマに沿って、とくにご専門の労働社会学の立場から、‘子どもの貧困’問題に目を向けた内容でした。たくさんの資料を用意してくださり、それに沿ってのご説明は、労働社会学には素人でもわかる、簡にして要を得たものでした。そして、最後のまとめで、名古屋市の今後に向けてのいくつかの問題提起―福祉・保育・教育・保健等、関係機関・専門職の横のつながりの強化、就労支援等に基礎自治体が役割を担うこと―によってよい方向に変えられるのではという展望を話されました。今後もこの問題について藤田先生とごいっしょに研究を進めて行きたいものと、改めて思いました。

奥田陸子(NPO法人「子ども&まちネット」理事)

小林かおり教授「アジアのシェイクスピア上演」

51回サイエンスカフェ 2012年6月24日(日)

講師:小林かおり教授

テーマ:「アジアのシェイクスピア上演」

6月24日(日)、名古屋市立大学の「サイエンスカフェ」で小林かおり教授の「アジアのシェイクスピア上演」を聞く機会を得ました。演劇好きな私にとっては、とても面白く、興味がひかれるお話でした。
サイエンスカフェ
シェイクスピア劇が世界を駆け巡って、今アジア、とりわけ最近、韓国で盛んだとのことで「ああそうなのだ」とびっくりしたり感心したり。教授が言う「異文化との融合・・・アジア諸国の劇団との共同」とは、何か奥深いものを感じますが、人間にはどの国でも、どの時代でも普遍的に共通する流れがあるということでしょうか。それにしても、様々なシェイクスピアがあるのですね・・・。

約37~38本書かれた作品の変遷に興味が湧きます。歴史劇から始まって、喜劇、悲劇そしてロマンス劇とシェイクスピアだけでなく、人の人生の変遷そのものではないか。人は決して一人だけでは生きていけない。それぞれの時代の中で、苦しみ、もがき、そして喜びを得ながら生きていく。シェイクスピア(1564年~1616年?)も同じだったと思います。

エリザベス一世(1558年~1603年?)の時代なしには、これほどの作品はなかったと聞きます。イギリスはこの時代世界へ羽ばたいていく時代でもありました。その時代的背景にも興味がそそがれます。

我々はどうだろうか。いまや、日本も含めて世界中がさまざまに変動し、いつ何が起こるかわからない時代にいます。これからは暗澹たる時代が来てしまうのか、すばらしい時代を迎えることができるのか。いま生きている私たちに何ができるのか、どう生きていったらいいのか。

演劇は人間に与えられた武器です。いまどんな芝居なのか。そしてシェイクスピア劇で言えばどの作品なのだろうか。「演劇は自然を映し出す鏡(ハムレット)」とは・・・。 どうもありがとうございました。また、いきます。

小原 昭三(名古屋演劇鑑賞会)

山田美香教授「人間文化研究叢書第2巻 公教育と子どもの生活をつなぐ香港・台湾の教育改革」

マンデーサロン 2012年6月18日(月)

講師:山田美香教授

テーマ:「人間文化研究叢書第2巻 公教育と子どもの生活をつなぐ香港・台湾の教育改革」

マンデーサロン大学には、マンデーサロン授業以外にも様々な学びの場があります。せっかくの機会を活用しないのはもったいないことです。また、テーマにも興味があり、初めて参加しました。

山田先生の著書「公教育と子どもの生活をつなぐ香港・台湾の教育改革」の内容紹介と、現地での調査・取材の様子がスライドで紹介されました。 地理的には近いのですが、香港や台湾の学校教育制度についてや、どのような福祉的教育政策がとられているのかについては、あまり知識がありませんでした。日本との違いや比較のお話を興味深く伺いました。

日本以上に充実している、授業料の無償化や奨学金などの経済面での支援制度。ソーシャルワーカーの配置など、多様な学校支援の様子。政府が積極的に不登校児への対応策をとっていることなど、日本が両地域に学び、取り入れていくとよいのではと思うことがありました。

有賀先生のコメントや、参加されていた先生からの質疑応答など、先生同士の意見交換の様子を間近に見聞きできたことも、非常に刺激的で、学ぶことが多々ありました。

伊藤稔弘(同研究科博士前期課程)

安藤 究 准教授「『祖父母という経験』を考える」

50回サイエンスカフェ 2012年5月27日(日)

講師:安藤 究 准教授

テーマ:「『祖父母という経験』を考える」

「こういうの大好き!」と笑顔の、5人の孫がいるという女性と席に着いた。多くは祖父母世代で、若い人も混じり、ほぼカフェの席が埋まるほどの 参加者であった。

サイエンスカフェ

ケーキとお茶付のおしゃれな雰囲気の中で、戦後日本の人口変動と家族変動という社会の変化が、「祖父母」にどのような変化を及ぼしているかについてデータが示され、サイエンスカフェがはじまった。現在の祖父母は、戦後の著しい平均余命の伸長と出生率の低下から、かつて自分が孫として経験した「祖父母-孫」関係とは大きく異なる「祖父母という経験」をしている。かつては相対的に多くの孫と短い期間の経験であったものが、現在では相対的に少ない孫と長い期間を祖父母として過ごすことになるというものである。

また、戦後日本の家族変動が、「祖父母という経験」に与える影響についても検討された。戦後の日本の家族は専業主婦化で示される近代家族の普及と、その揺らぎの時代の2つの段階を経てきたというこれまでの知見が紹介され、現在の祖父母は、成人期に近代家族と親和的なジェンダー化されたライフコースを歩んできたことが、祖父性と祖母性に反映されていると指摘された。祖母は加齢によって「祖母であること」の重要性に変化は見られない が、祖父は就業状況の変化などから、加齢とともに孫への関心が増大する傾向が認められる。今後は、政策的に祖母力の活用のみでなく、祖父力に注目することが必要であると提言された。どのようにすれば祖父母が孫の発達に影響を与えることができるのかなど、今後の祖父母研究の成果にも期待が持たれる。

「おじいさん」「あばあさん」という呼称についてなど、経験をとおした質問に活発な意見も相次ぎ、アカデミックな雰囲気のカフェを満喫した。

田中 和子(大学院修了生)

阪井芳貴教授「復帰40年を迎える沖縄から見えるもの」

49回サイエンスカフェ 2012年4月15日(日)

講師:阪井芳貴教授

テーマ:「復帰40年を迎える沖縄から見えるもの」

サイエンスカフェ

今年の5月15日で1972年に日本へ本土復帰してから40年を迎える沖縄。その日を迎える前に改めて、沖縄文化研究ご専門の阪井教授のお話しをお伺いしたいと思い参加した。当日、会場には思いを同じくする人が多数出席され、活発な質問・意見交換もなされ有意義な時間となった。

私自身は名古屋生まれの名古屋育ちでありながら、仕事や家族関係を通じて沖縄に関わってきた。好きがこうじて沖縄に何度も通った時期もあり、現在も沖縄文化研究会に参加するなど、沖縄の文化・風習・歴史について深く知りたいと思い続けている。しかしながら、今回のサイエンスカフェも含め、沖縄について考える会に参加するたびに自分の理解の浅さにあらためて気づかされる。沖縄は知れば知るほど、奥が深い。以前読んだ“沖縄を知る事は自分を知ることである”という記事に「自分自身が何もわかっていなかったことに気づくこと。矛盾と葛藤を抱えた沖縄の歴史と今を知る事は、日本を考えることにつながる」と綴られていた。真実を突いていると思う。

阪井先生のお話で、最初に心に響いたのは、琉球王国が1879年の琉球処分まで450年にわたり小さいながらも独立を保ち続けた王国である事実を、今の沖縄が大きく自覚し誇りに思っている事である。徳川幕府の300年と比較しても、その年月の長さは並々ならぬ偉業であると気づかされる。それを琉球の人々は今でも静かに誇りに思い、「日本とは違うんだぞ」との意識を伏流的に持っている事実を好ましく思った。沖縄には独特の方言がありそのチャンプルー文化は日本とは全く別の独自の側面が強い。そこに私は惹かれてきたし、沖縄の人が自分たちの琉球に静かに誇りを抱いていると知り心躍った。

沖縄で、今も地下水脈のように現在も流れ続けている『沖縄(琉球)独立論』についても言及され、最後の質問コーナーでも改めてその点が問われた。“現在も「復帰してよかったのか。独立すべきではないのか」の声が強いのは何故なのかを我々(ヤマト)の問題として考えるべきである”との阪井先生の指摘にはハッとさせられた。“沖縄の人々が根深く持っているマグマ”に目を向けること。私たちヤマトの人間が、近代・現在を含めた歴史を踏まえ、“率先して沖縄で起きている現実にアンテナを張っていく大切さ”を改めて先生は説かれた。それは、沖縄を通して見えてくるこの国のありようを、目をそらさず、見つめ続け、考え続ける役割を今のヤマトに住む大人たちが担っているという事に他ならない、と先生は結ばれ、深く考えさせられた。

例えば、「山梨県・岐阜県にかつてあった海兵隊の基地が徐々に沖縄に移って行った事実を、現在の各県の大人達はどれくらい知っているか。こういう事実をヤマトンチューがもう一度思い出す事の大切さ」について触れられた。ベトナム戦争、湾岸戦争、911以後のアフガン・イラクでの戦争で、常に沖縄のアメリカ軍基地は戦闘機が出発する最前線基地であった。ベトナムには、沖縄を“悪魔の島”と見なしている人々がいると聞いた事がある。いつしか間接的に戦争の加害者の立場になっているのだという自覚を、私たち本土の人間は持てているだろうか。言うまでもなく、観光が沖縄の唯一無二の基幹産業である。『癒しの島』というイメージは快く受け入れられても『戦争が見える島』には誰も行こうとは思わない。“戦争”と“癒し”のギャップをどうするのかを我々自身が迫られていると、先生は問いかけられた。普段のほほんと暮らしている自分に、その視点は欠けている。忘れがちだ。折に触れ、喚起させられないと忘れてしまいがちな事実であると覚えておかなければ、と切に思った。

文部省唱歌“蛍の光”が、実は軍国主義そのもののとんでもない歌であったとお話しにありとても驚いた。子ども時代から当然のように歌ってきた曲だ。衝撃的だった。蛍の光は実は4番まであり、その一節『千島の奥も 沖縄も 八洲(ヤシマ=日本本土)の内の 守りなり』は、「千島列島・樺太・沖縄は北海道から九州までの日本国を守るためにあり軍事的な防人である。」と唄っているという。そういう歌を何の疑問も感じず、子ども時代の自分は普通に歌っていたと知り、愕然としてしまった。

復帰からの40年は、日本政府の沖縄振興策によって沖縄の人々に依存体質を作り上げていった40年間でもあったこと、そして教科書問題をはじめとする昨今の動きに見られる沖縄内部の保守化は何を意味するのかのお話しは非常に印象深く自分の中に残った。沖縄は、琉球王国時代から経済的に弱い立場だった歴史を踏まえて、人々はしたたかにならざるを得なかった事。どこに近寄り、頼りにしていけば生きていけるのかを、常に模索して日和見的に生きざるを得なかった事を学んだ。

阪井先生の今回のお話しを通して、自分がやはり沖縄を愛し、沖縄の人々に深く尊敬の念を抱く気持ちを禁じえない事に改めて気づいた。そういう意味でも有意義な機会であった。 その自分の気持ちに背かぬ為にも、あきらめずに考え続ける姿勢を持ちたいと思っている。
サイエンスカフェのような取り組みは、『考える』事が仕事である大学が、社会に還元する形として非常に意義深いと思う。学内の大学生のみならず社会一般に、考え続ける機会を提供し、思考停止に陥りやすい状態・性質にストップをかけてくれる。その為に努力を惜しまない阪井先生をはじめとする先生方に敬意と感謝の意を表したい。

比嘉 綾(市民)

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