「東日本大震災から学ぶ 被災地を訪ねて 写真&トーク」

マンデーサロン 2011年11月21日(月), 12月12日(月)

テーマ:「東日本大震災から学ぶ 被災地を訪ねて 写真&トーク」

講 師: 本学ボランティア学生・院生・修了生ほか

11月21日と12月12日の両日、東日本大震災をテーマに恒例のマンデーサロンを開催した。2011年3月11日に東日本を襲った大震災は、東北地方を中心に甚大な被害をもたらした。大震災から8か月ないし9か月を経過した時期に、被災地を訪ねた人に現地報告をしてもらう、「東日本大震災から学ぶ」という企画である。当初は報告者が集まるか不安であったが、2日間で8人の報告者があり、パートⅡでは報告時間が足りないほどで、サロンも院生・学生をはじめ多くの参加者があり盛況であった。マンデーサロン

8人の報告を詳しく紹介することはできないので、とくに印象に残ったことを記す。報告者の大半はボランティアに参加して活動してきた学生・院生・修了生などである。報告された主な被災地は岩手県の大槌町・陸前高田市・宮古市、宮城県の石巻市・山元町である。報告はいずれも生々しい写真により、被災地の厳しい現実や現地での活動を紹介するものであった。企業ボランティアに参加した学部3年生は、被災地を「実際に自分の目で見たい」とボランティアに申し込んだ。主催者が活動に「満足しましたか」と述べたことに疑問を感じた。ボランティアは自己満足のために行うのではないと、ボランティアのあり方に問題を投げかける。それとボランティア仲間をつうじて「何かしたい」という人の思いの強さを実感したという。

ボランティア活動の多くは、がれきの処理や側溝の清掃など「力仕事」だが、大学院を修了したNPO職員は被災者の話を聞く活動に参加した。話し相手になることにより、被災者に寄り添うことの大切さを強調し、「ともかく来てほしい」という現地の声を伝える。このほか、福島原発周辺の現実を写真でリアルに紹介した報告、ゼミや寺院でのボランティア報告なども印象に残った。

全国社会福祉協議会(全社協)のまとめによると、大震災から約10か月で震災ボランティアは、ピーク時の10分の1まで減少している(朝日新聞2012年1月13日付)。全社協は「がれき撤去や泥出しなど人数を要する作業が減ったため」とみている。ボランティアだけでなく、東北の被災地を訪ねることも大切だ。宮城復興支援センター事務局長の船田究さんも読売新聞2012年1月5日付で次のように述べている。そもそも、被災地では力仕事のボランティアの需要は減っている。結果として、外から訪れる人たちが減り、被災地への思いが風化し始めないかが心配だ。「来て」「見て」「買って」「泊まって」もらうのは、風化を防ぎ、復興を後押ししてもらうためでもある。

これからも多くの学生・院生が被災地を訪れ、「東日本大震災から学ぶ」をテーマにした企画を継続していきたい。

山田 明(同研究科教授)

吉村公夫教授「社会福祉をめぐる動き(ここ40年あまりの日本の動き)―同時代を生きてきて―」

45回サイエンスカフェ 2011年11月20日(日)

テーマ: 「社会福祉をめぐる動き(ここ40年あまりの日本の動き)―同時代を生きてきて―」

講 師: 吉村公夫教授

人口減少、少子高齢化と言われる現代、社会福祉への関心や重要性はますます高まっているのではないでしょうか。

この度の「サイエンスカフェ」では、先生が研究に携わってこられた、1970年以降の40年間にスポットを当て、社会福祉分野の法整備の歴史や制度の変遷をたどりました。いくつかの“転換点”を概観する中で、こうした現代、そして近い将来の日本の社会福祉を考える、有意義な時間を過ごすことができました。サイエンス・カフェ

特に印象深かったのは、1986年に国際社会福祉会議が東京で開催された時のエピソードです。会議参加者が特別養護老人ホームを視察した際、「寝たきり」の現状に驚いたとのこと。海外では、高齢者は亡くなる前まで「生活」する時代、目前の光景は病院同然でした。以降、「寝かせきり」と表現したそうですが…日本におけるソーシャルワーカーの資格創設につながり、これを機に少し前進したと言えます。 また、社会福祉制度・政策は、諸外国の動向や、その時々の政治に大きく影響を受けているということも、実感しました。

そして、「法令や制度の整備がすべてではない」ということを、改めて考えた機会でもありました。法令をいかに運用していくのか、現場(利用者、市民)の小さな声をいかに国へ届け、国全体での改善へ結び付けていくのか、行政が常に背負う課題であり、果たしていくべき役割だと思います。

講話の最後には、先生から、今、農作物や工業製品等への関税で話題となっているTPPについて、医療も議論の対象になり得るとのお話をいただきました。規制緩和により、公的医療保険制度は崩壊しかねません。 社会福祉が政治のツール等になることなく、より必要性の高い方々が、より質の高いサービスを受けられるものであって欲しい、そう願ったひと時でした。

松永 亜紀(同学部卒業生)

寺田元一教授「『百科全書』よ、お前もコピペか?!―フランス『百科全書』の典拠をめぐる新研究―」

マンデーサロン 2011年10月17日(月)

テーマ:「『百科全書』よ、お前もコピペか?!―フランス『百科全書』の典拠をめぐる新研究―」

講 師: 寺田元一教授

まずは寺田先生、二時間にも及ぶ貴重なお話しお疲れさまでございました。 18世紀フランス『百科全書』については、院生だった時期に寺田先生のゼミで学びはしましたが、十分にその全体像・概念がつかめないままでした。18世紀フランスにおける『百科全書』の出版がいかなる意味を持ち、また今日現代においても研究対象として多くの研究者がそれになぜ携わっているのか、『百科全書』自体についてかなり理解する事ができました。

サイエンスカフェ寺田教授特には、マンデーサロンのタイトルにある「お前もコピペか?」にはサロン出席前までは、百科事典のたぐいの書においては、一般に使われている「コピペ」の意味とは全く同一ではないが、専門書ではない故、他の専門テキストや専門家からの知識の引用・導入は当然ではないかと思っておりましたので不思議な感覚でした。

しかしサロン当日資料の中にある、「4・むすびにかえて」で紹介されているディドロ執筆による全書項目「折衷主義」―偏見、伝統、古さ、普遍的合意、権威、つまりひとくちに言って、多くの精神をおさえこんでいるあらゆるものを踏みにじることによって、自分自身で考えることや、もっとも明白な一般原理に立ち帰ってそれを検討し、議論することや、自分の体験と理性の証言のもとづくもの以外は認めないことなどを敢行する―、とか「混合主義」―折衷主義者は誰も味方せず、諸見解をこの上なく厳密な討議に付し、それ自身で明証的な概念に還元できると思われるような命題しか体系から取り入れない―などは私が今取り組んでいる17世紀後半から18世紀の、後に理神論者と称される人々例えばジョン・トーランド、アンソニー・コリンズなどが、ローマカトリック教に反論して唱える反カトリック教理主義との文脈に多くが重なり驚いているのと同時に、両者に共通する人間理性を重視した近代合理主義の立場に立った知識の普及・啓蒙活動に大きな役割を果たしたことを実感できたことです。そして今まで多くの人が携わり現在においても続く『百科全書』研究活動というものが、いかに多くのエネルギーを必要とし、奥深いものかが想像でき感銘いたしました。

寺田先生の典拠の新発見もかかる活動の結果だということが理解できました。最後に『百科全書』の出版は、当時の社会環境、諸書籍保全、印刷技術などを考えると、いかに大偉業であったかが、再確認できたことです。

 服部篤睦(同研究科研究員)

山田 明教授「東日本大震災と防災・減災まちづくり」

44回サイエンスカフェ 2011年9月18日(日)

テーマ:「東日本大震災と防災・減災まちづくり」

講 師: 山田 明教授

東日本大震災という衝撃から半年。次第に、日常会話の中から「震災」という単語が減ってきたこの時期に、実際に現地訪問を重ねている山田教授による講演が行われた。

サイエンスカフェ今回の内容は主に、被災地の現状報告から始まり、阪神大震災との比較やフクシマの原発の問題、これに関連した従来の国策の影響についても言及されていた。小泉政権下で大規模に行われた市町村合併によって、周辺部化した地域の復興が遅れていること。菅前政権における原発対応が批判されたが、そもそもフクシマの問題の端緒となったのは自民党政権の時代であり、それを批判しなかったマスコミも問題だったのではないか、など。いずれにおいても、 「被災」者がじつは国策による「被害」者でもありうる、という点に関しては特に考えさせられた。

現在、次なる国策として、被災地復興を叫びながらも、国民への説明責任も果たされないままTPPが前進しようとしている。 第一次産業の支え手でもあり、かつ、« 職 »が大きな課題となっている東日本の被災地に対して、どのような影響をもたらすことになるのだろうか。国全体への影響とともに、議論を重ねる必要性を感じるところだ。

当時は、津波の映像を画面を通じて見るだけでPTSDになってしまう、と懸念されたほどの今回の大震災とは言え、日数の経過とともに人々の記憶も関心も薄れていく。このような現状の中で、被災地の復興のためにも、この衝撃をいかにして風化させずに次世代へと繋いでいくのか。また、十数年以上前から東海地震の危険性を叫ばれている私たちの地域においては、この衝撃から何を学び何を活かすべきなのか。まちづくりのあり方にとどまらず、一般市民の意識や議論における減災への取組みも検討される必要性を感じた。

天野知亜紀(同研究科博士前期課程)

吉田一彦教授「日本の古代寺院と韓国の寺院」

43回サイエンスカフェ 2011年7月17日(日)

テーマ:「日本の古代寺院と韓国の寺院」

講 師: 吉田一彦教授

吉田一彦先生による「日本の古代寺院と韓国の寺院」と題したサイエンスカフェは、想定していたよりもずっと専門的な研究成果の報告であり、まるで学会のようなアカデミックな内容であった。しかし、明るく明快な小気味よい口調で、論理的な説明を鮮やかに語る先生の姿を目の当たりにして、学問の本質的な愉しさを感じることができた。

仏教は、1世紀頃中国に伝えられ、4~5世紀に朝鮮半島へ、そして6世紀に百済から日本へと伝来した。考古学上、日本最古の寺院と目される飛鳥寺を筆頭に、古代寺院の伽藍配置・塔の形状・基壇・礎石・心礎・勾欄・瓦・舎利容器などを朝鮮半島のものと比較検討して、6~7世紀の日本の仏教に百済・新羅からの強い影響関係があったことをすっきりと説き明かした。

また、仏教受容当時の実態を考えていくことで、これまで私たちが常識のように覚えてきた歴史が全てではなく、まだ解明されていない問題やもう一度考え直さなければならない問題があることを提示した。例えば、『日本書紀』の記述で、仏教伝来が百済の国から蘇我氏へ行われたと読み取れることをどう理解すべきか。日本史の教科書で「四天王寺式伽藍配置」と記憶してきた、門・塔・金堂・講堂が南北に直列に配される伽藍配置が、実は新羅の四天王寺の双塔式伽藍配置と異なるもので、まぎらわしい名称である、等々。興味深い指摘が何度もなされ、あっという間に時間が過ぎてしまった。真実の姿を知りたいという根源的な欲求が、ますます強くなるサイエンスカフェであった。

柴田憲良(同研究科博士前期課程)
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