林浩一郎専任講師「多摩ニュータウン開発の構想と現実―実験都市の迷走とある生活再建者の苦闘―」

マンデーサロン 2014年7月28日(月)

講師:林浩一郎 専任講師 (地域社会学)

テーマ:「多摩ニュータウン開発の構想と現実―実験都市の迷走とある生活再建者の苦闘―」

研究者とはどうあるべきかを考えさせられる内容であった。
今回の報告を担当した林浩一郎先生は、多摩ニュータウン開発を事例として、開発の利害関係者に焦点を当てた研究に精力的に取り組んできた経緯がある。彼ら一人ひとりの人生を紡ぎ、その生きざまを紐解くライフヒストリーという手法を用い、「開発の意味は何か」を解明していくのが、林先生の研究スタイルである。

今回は特に、多摩ニュータウン開発によって農地を奪われ、転職を余儀なくされた人物に焦点を当てた報告であった。近年ではニュータウンの高齢化が進む一方、民間事業者が団地のリノベーションに乗り出し、ここに若年世帯が入居する動向が新聞等で伝えられる。しかし、半世紀前にさかのぼると、ニュータウン開発によって先祖代々の土地を召上げられながらも、多摩地域の発展のために開発を受け入れ、翻弄された人々が確かに存在したのである。彼らの犠牲のもとに開発が進み、現在の多摩ニュータウンが存在する歴史を看過してはならない。

丹念な資料分析に基づき、また度重なるインタビューに裏付けられた林先生の報告は、開発に人生を左右された人物の軌跡を克明に描き出し、圧巻であった。私事にわたるが、執筆者は大学院時代の恩師から学術研究における「人間味のある視座」の重要性について、日ごろから指導を受けてきた。今回の林先生の報告を通じ、一研究者としてあらためてこの点を痛感したしだいである。

三浦哲司(本学准教授)

マンデーサロン

吉田一彦教授「日本書紀の呪縛」

第66回サイエンスカフェ 2014年6月14日(土)

講師:吉田一彦教授

テーマ:「日本書紀の呪縛」

吉田先生の講義は、いつも刺激的な内容でおもしろい。私たち日本人は、『日本書紀』の原文を実際に読んだことがなくても、その内容を知っている。例えば、大化の改新や、聖徳太子の数々の事績に関しては、だれでも小学校の段階で習い、ずっと覚えている。最近の研究水準からいえば、これらはどうも史実ではないようだ。後世の権力者や学者によって、時代に合わせた価値ある歴史のみが抽出され、あるいはあたかも事実としてあったかのように歴史が創作されることがある。こうした歴史教育を受けた私たちは、まんまとその誘導に乗せられてしまっている。

『日本書紀』は、天皇制度の創始と深く関わる書である。天皇は、空間・法・経済を支配した。さらに、もっとも感心したのが時間をも支配したことだ。すなわち天壌無窮の神勅によって、この国には天皇家が無限の過去からずっと君臨してきたのであるから、未来永劫にわたって天皇家が君主になる家系であると規定したのである。過去の知識が現在の認識を生み、未来をつくり出す。未来とは過去の副産物であり、その繰り返しであるべきだという、未来に自由を許さない意図を感じた。
そもそも歴史学は未来を展望する中で、有意味な過去を編集する学問である。だからこそ、過去の知識を相対化し、いまの在り方を考えるために、未来を自由に創造するために、歴史学を学ぶ必要があるという。

今回、内容が難しいにも関わらず、専門家でなくとも容易に理解できるような説明と、立て板に水のよどみない話しぶりに、みな好奇心全開で、たびたび驚き、うなった。このことは、まぎれもない事実である。

柴田憲良(同研究科博士後期課程)

サイエンスカフェ

三浦哲司准教授「姉妹友好都市トリノ―都市再生のあゆみと地区自治の展開」

マンデーサロン 2014年5月26日(月)

講師:三浦 哲司 准教授(地方自治論)

テーマ:「姉妹友好都市トリノ―都市再生のあゆみと地区自治の展開」

現代社会学科のホープ、新任・三浦先生のご報告は、楽しいながらも、深い射程をもっていた。イタリアの地方自治制度を踏まえながら、自動車産業の企業城下町から観光都市へと変貌していったトリノの展開を簡潔に描いて見せた。都市計画家市長による都市再生戦略は、産学官連携、新しい都市計画や住区再生を行い、トリノオリンピックを梃子に、見事に「都市再生」を果したという。

むろん、何をもって「都市再生」とするかという問題はついて回る。「都市再生」は、しばしば地区の貧者を排斥し、富裕化(ジェントリフィケーション)をはかる危険性をはらんでいる。イタリアブランドを掲げて突っ走った「観光都市」トリノは、産業技術・人材の断絶という問題を孕んでいるのではないか。それは、日本の企業城下町「再生」のモデルとなるのかと、フロアからも疑問が呈された。

すぐさま日本の都市とトリノを比較するのは拙速かもしれない。しかし、三浦先生の故郷・夕張のように、日本において脱工業化しようとする(せざるを得ない)企業城下町の観光都市戦略は、なぜ斜陽に向かうのか。第二次東京オリンピックを控え、スカイツリー開発に「成功」した東京城東の「都市再生」は、いかなる展開を遂げるのか。観光戦略を、地方自治制度・地区自治と組あわせながら考察する三浦先生のご研究は、大変意義深く、考えされられるものだった。

林 浩一郎(本学 人文社会学部 現代社会学科 専任講師)

マンデーサロン

阪井芳貴教授「日琉二つの王朝文化をくらべてみる」

第65回サイエンスカフェ 2014年4月12日(土)

講師:阪井芳貴教授

テーマ:「日琉二つの王朝文化をくらべてみる」

今回のサイエンスカフェは、日本と琉球の王朝がテーマであった。私の中での王朝のイメージは、徳川美術館にあるような源氏物語絵巻なので、桜山駅に着いた途端、目に飛び込んできた満開の桜がこの上なく華やいで見え、うきうきと桜山キャンパス内のカフェに向かった。阪井先生には大学院時代から師事し、数年前に行われた沖縄スタディツアーにも参加させていただいている。その時は単なる観光旅行ではないディープな沖縄を見せていただき、沖縄の見方が変わったものである。今回の講義では、どのような切り口で沖縄を講義されるのかと、興味津々でのぞんだ。

まず、阪井先生は「皆さんのお手元に弐千円札があるのならば、見てください。」と言われた。この弐千円札は西暦2000年と、沖縄サミットが行われた記念の年であったことから発行されたもので、札の両面には、今回のテーマである二つの王朝を表象する図柄が描かれているとのことであった。確かに表面には守礼門、裏面には紫式部と源氏物語絵巻(鈴虫)が確認できる。私は日本の紙幣の中で最も美しい図柄の札だと思うが、二千円という単位で生まれたこともあり、現在ほとんど流通していないことを本当に残念に思う。

閑話休題、日本と琉球の両国に影響を及ぼしているのは、歴史的にみても中国や朝鮮であるので、日本も琉球も王朝文化においても類似点が見られるとのこと。悠久の歴史を思う時、中国の国力や、巧妙な外交術を再認識する。日本も琉球も、中国との関係を大切に築きながら、独自の発展を遂げてきたことを忘れてはならない。今回の講座の時間だけでは足りないほど、日本と琉球の話をするには壮大なテーマだと思ったが、話し足りなかった分は、また次回に機会があるものと期待する。日本を考える講座とはいえ、私には中国を大いに意識する講義となった。

現在の阪井研究室には中国人留学生も多く在籍している。この組織の中では、日中の関係はすこぶる良好で、いい意味での日琉中の三角関係となっている。学問に垣根はないと心から思う。この講座の後で、熱田神宮の中にある楊貴妃伝説ゆかりの泉に立ち寄ってみた。謂れに従って石の上に水をかけると、美しさが得られるというその場所には、若い女性が手を合わせ密やかに祈る姿があった。美を追求することにも、国境はないと思った。

野田雅子(同研究科修了生)

サイエンスカフェ

Dr. Tolga ÖZŞEN「トルコから『日本』を読む ―ステレオタイプの日本理解を超えて」

マンデーサロン 2014年3月24日(月)

講師:Dr. Tolga ÖZŞEN(トルガ・オズシェン)

テーマ:「トルコから『日本』を読む ―ステレオタイプの日本理解を超えて」

マンデーサロン

日本人がトルコに対して知っていることはなんだろう。思いつくのは「ケバブ」や「ムスク」くらいだろうか。それと同じで、大半のトルコ人にとって「日本」と聞いて思いつくのは「Sushi」くらいだそうで、互いにステレオタイプのイメージしか持っていないと思う。

今回のセミナーはトルコの大学で日本学科を専攻している学生らが、日本をどのように理解しているかを分析する講義であり、大変興味深い内容であった。そもそも「日本が好きだから」という理由で日本学科を専攻している学生は少なく、大半は「テクノロジー大国日本」で働き、お金持ちになりたいからという道具的動機から日本を学んでいる学生が多い。そのためか、日本を「商品」として考えており、日本について表面的な理解しかできていない学生が多い。その結果、実際に日本社会に入って働くと、様々な苦労をしているトルコ人が多いと言う。

私は現在トルコ人の方達と仕事をしており、日本人にとっての当然が通じなかったり、仕事がスムーズに進まなかったりという経験が多々ある。それを解消する為にも、相手の文化や習慣についてより勉強し、相互に深く理解していく必要があると強く感じる良い機会となった。

島崎三穂(NPO法人名古屋トルコ日本協会・人文社会学部国際文化学科卒業生)

マンデーサロン

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