2014年5月18日(日)第8回総会 記念講演:細川佳代子さん「インクルージョン~共生社会をめざして~」

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知的障害者の人たちの参加と自立を目的に4年おき(夏・冬季)に開かれるスポーツの世界的祭典、スペシャルオリンピックス(以下『SO』とする)。細川佳代子さんはSO日本支部を設立し、2005年長野での冬季世界大会を実現させた中心的な人である。現在では、「NPO勇気の翼 インクルージョン 2015」を設立し、障害者理解の推進をご自身のミッションとして、全国を精力的に飛び回っておられる。今回、市民学びの会では、その細川さんに障害者理解の活動とそこに貫かれている「インクルージョン」の理念について大いに語ってもらうことになった。

5月18日(日)、会場の201号室は、開場を待つ人たちで早々とほぼ埋まってしまった。 細川さんの話は、20年前、唯一熊本県でSO出場に向けけんめいに練習を続けていたともこちゃんに会ったところから始まった。それが、知的障害をもつアスリート(選手)との最初の出会いとなるのだが、「とも子ちゃんはすばらしいものをいっぱいもっている」と、彼女のもつ可能性の大きさに衝撃を受けたことをせいいっぱい、うれしそうに表す。そして彼・彼女たちのいまだ隠れている可能性を引き出し、それを実現するための手助けにと、取りかかったのがSO日本支部の設立であった。そこから、長野県でのSO世界大会までの長い道のりが語られたのだが、みんな身じろぎもせず聴き入っていた。 とくに、アスリートのカッチャンがスケートの試合本番、2度もすくんで取消され、全ての努力がふいになる寸前、SO当局の計らいで再度プレイのチャンスを与えられたエピソードの、ハラハラドキドキの場面を、身ぶり手振りを加えけんめいに伝えようとする。SOでは参加選手全てが勝者なのだ。

1960年代ケネディ家の発案に起源をもつSO、だが90年代の日本は世界の水準から大きく遅れていた。そこから日本支部設立、世界大会開催へと至る過程には多くの困難があったことは容易に想像できる。財源、人集め、障害者スポーツに対する無理解の克服と。が、細川さんはその大変さをも、SOに協力し、支えてくれた人たちの善意とネットワークに感謝することに変えてしまう。また、ご主人護煕氏の政治生活、肥後細川家の実情などを合間におもしろおかしく語ってくれるが、いつしかそれらもSO活動の源泉にしてしまう具合だ。

最後に、この地方で活躍する若きアスリートたちの紹介の場面が設けられたが、彼らと細川さんとの間に交されるなんともいえないなごやかな親和感に、会場から割れるような拍手が寄せられた。 細川さんは、障害をもつ人たちの隠れた能力を実現すること、全ての垣根を越えて人と人が互いに思いやる共生、「インクルージョン」の大切さを、その体験をもって確実に伝えてくれた。(インドのノーベル賞経済学者、アマルティア・センの「ケイパビリティ(潜在能力)」の理念をも彷彿とさせる。)しなやかな語りである、だがそこに静かな信念と高度な博愛の精神を見たのは私だけではないだろう。五月晴れにおだやかな風の午後であった。 (城 浩介)