野村直樹教授「みんなのベイトソン 学習するってどういうこと?」

55回サイエンスカフェ 2012年10月20日(土)

講師: 野村直樹教授

テーマ: 「みんなのベイトソン 学習するってどういうこと?」

サイエンスカフェ希代の思想家といわれるグレゴリー・ベイトソン。その第一人者の野村先生が登場されることを知り、京都から参加しました。愛知県外では、東京、大阪、神戸からの参加者もおられました。

先生は飾らぬ語り口でやさしく話し始められました。お話が進むに従いどんどん引き込まれ、あっという間に2時間が経過。終了後も参加者との対話が続きました。ベイトソンに会ったことはありませんが、きっと先生と同じように話していたのではないでしょうか。

先生がお話しされた内容のほんの一端だけですが列挙します。ベイトソンは脱デカルトとして思考空間を広げる。意味はモノにではなく関係性にある。現実は区切り方次第で変わる。コミュニケーションが社会組織を生み出す。コミュニケーションは個ではなくやりとりを単位としてみる。コミュニケーションは変化であり学習である。変化には状態の変化と行動様式の変化がある。学習には、反応が一定のゼロ学習、試行錯誤を伴う学習Ⅰ、型となり変化しにくくなる学習Ⅱ、型を超え変化させる学習Ⅲがある。ベイトソンの関係性の科学は、見方を変える自由、可能性をもたらす。

野村先生のご著書『やさしいベイトソン』『みんなのベイトソン』は、最良の入門書だと思います。難解とされるベイトソンについて、これほどわかりやすい説明に出会ったことはありませんでした。今回、先生ご本人からさらに噛んで含めるようにご説明いただき、理解が一層深まりました。

このような貴重な機会をご提供いただいた野村先生、スタッフの皆様に心より感謝申し上げます。

鈴木 隆(大阪ガス株式会社 エネルギー・文化研究所)

サイエンスカフェ

中原 聖乃さん「放射能リスクと離散リスクにゆれるマーシャル諸島ロンゲラップコミュニティの帰還プロジェクト」

マンデーサロン 2012年10月15日(月)

講師:中原 聖乃さん
(名古屋市立大学非常勤講師、中京大学社会科学研究所特任研究員)

テーマ:「放射能リスクと離散リスクにゆれるマーシャル諸島ロンゲラップコミュニティの帰還プロジェクト」

マンデーサロン私の地元静岡県焼津市は「第五福竜丸」の母港です。次の世代に核の脅威を伝えたいと思い、市民活動をしています。マーシャル諸島には2回行き、被爆者の方達とお話をする機会もありました。

「放射能リスクと離散リスク」、本当に難しい問題だと思います。島(故郷)に戻りたい、しかし、放射能のリスクが怖い、帰島して生活したら自分達だけの問題ではない、次世代にも放射能の影響があるのではないかという不安。

マーシャルの人達は被曝によりさまざまな病気に悩まされています。治療の為に飲み続けている薬の副作用にも悩まされています。
島の人達がこのように思うのは当然の事だと思います。この苦しみは自分達を最後にしてほしいと言っていました。第五福竜丸の乗組員も同じ事を言っています。
私は、今の福島も同じ状況に置かれていると思います。福島の未来とマーシャル諸島の今は同じではないかと感じます。

(杉本 智子 yaponesiafreeway)

マンデーサロン2011年と2012年に、マーシャル諸島共和国へ行ってきました。私は静岡県焼津市に住んでいますが、焼津市は1954年アメリカによる 水爆実験「ブラボー」の被害にあった第五福竜丸の母港です。

中原さんのお話で、マーシャルの現状を知ることができました。私たちがマーシャルを訪れた時には、2012年12月までにロンゲラップに帰島しないと、アメリカは毎月の援助資金を打ち切る、と聞きました。私は、島全体の除染が完了してはいないのに、27年ぶりに島に帰るのだろう か?とドキドキしていましたが、今のところ、島民の大きな引越しはない、ということでした。故郷に帰りたい人が半数以上、しかし、手放しで喜べない現実。これからもその不安は続くのではないかと思います。
他にも、「ジェーヌクン」というタコの木から作られるようかんのお話が印象に残りました。今ではロンゲラップ島民全員が「ジェーヌクン」を 作れるそうです。日本やアメリカの統治によりマーシャルの人々の生活が変わってしまった今、昔ながらの物を復活させる動きは、とても素晴らし いと思います。

今回マンデーサロンに参加できて、本当に良かったです。中原さんのお話で、マーシャルのことにもっと関心が出てきました。ありがとうございました。

(池谷千穂 yaponesiafreeway)

上田敏丈准教授「保育園・幼稚園の先生は、何を『見守る』のだろうか?~子どもと関わるために~」

54回サイエンスカフェ 2012年9月15日(土)

講師:上田敏丈准教授

テーマ:「保育園・幼稚園の先生は、何を『見守る』のだろうか?~子どもと関わるために~」

サイエンスカフェ
54回目のサイエンスカフェの講師は若きホープ、上田敏丈准教授。会場には園長、現役の保育者、子育て中の母親、学びたい意欲満々の紳士、私のようなかけだしの研究者等、実に様々なお顔ぶれであったように思う。

子育てにおいて「見守る」という定義から始まり、事例DVD視聴、ディスカッション、質疑応答という流れであった。それぞれの立場と視点から、思い思いの意見や質問が途切れることなくあった。

心に残ったキーフレーズは、「見守るということは、私はここにいるのよ~という安心感、子どもとの信頼関係」。保育者にはもちろんのこと、世の母親たち全てに聞いてほしいキーフレーズであった。日本の保育専門性の高さというキーフレーズも何度も紹介していただき、感情労働と言われる仕事であるがその礎を実感した指摘であった。

カフェには、リラックスしたり、議論を楽しんだり、好きなときに来て好きなときに出ていけるというイメージがある。そのため誰とでも対等の関係、すなわち、環境は様々だが、敬意においては対等の関係で話題と時間を共有して議論することができる場だと言える。

この日の会場は、いつものカフェではなく、講義教室であったが、それもまた新鮮で、加えて先生方始め、スタッフの方々の温かい雰囲気作り~まさに環境作りがNICE!~だったおかげで発言にも自然と笑みがこぼれたり、拍手が沸き起こったりするなど、まさにほっとするカフェテリア空間が大変居心地良く感じた。「え~もう終わり~?」「またやろうね~」「ありがとう」「楽しかった」。保育をするうえで子どもたちのこういった発言が出たら大成功! 楽しい時間に心から感謝申し上げる。

加藤博子(保育養成校実習担当教員、名古屋市子育てサポーター講座講師)

古賀弘之准教授 「保育と音楽―乳幼児にとって音楽活動はどんな意味があるの?」

53回サイエンスカフェ 2012年8月19日(日)

講師: 古賀弘之准教授

テーマ: 「保育と音楽―乳幼児にとって音楽活動はどんな意味があるの?」

サイエンスカフェ

8月のサイエンスカフェは古賀准教授を講師に迎えて行われた。託児つきに加え親子参加のワークショップもあるということで、大盛況であった。

まず「ちゃちゃつぼちゃつぼ」の手遊びでウォーミングアップ。参加者全員が挑戦した。しかし簡単にできた方から苦戦する方まで様々。一気に笑いがあふれて和んだ雰囲気となった。続いて音楽教育の代表的メソッドの紹介から、わらべうたの効果へとお話が進められた。わらべうたは話し言葉の延長線上にある音楽で音程の幅が2~3度と狭いことや、わらべうたを歌いながらの遊びは身体動作やグループ行動を伴うため、乳幼児の音楽的発達ばかりでなく身体能力や社会性の発達の側面から有用であることが説明された。

後半はワークショップ。会場内の託児スペースで、乳幼児と保護者の方々、保育士の方、保育士志望の学生さんと一緒に実際に古賀准教授がわらべうた遊びを実践してくださった。ぐずり声や泣き声が聞こえてきた前半とはうってかわって子どもたちの笑い声。もちろん大人からも笑顔があふれた。

保育の現場でわらべうたを扱うことは以前に比べ少なくなったと聞くが、様々な側面からの効果をこうして改めて聞くと、古賀准教授には保育士養成の面からわらべうたの継承に努めてほしいと願うばかりだ。

そしてもう一点。全体を通して、お父さん方や祖父母世代の方々の熱心な姿も印象的であった。子育て支援策が急務となっている日本だが、母親だけが育児を抱え込まない社会の動きを見た感があり、日本の将来に一筋の光を感じたのは気のせいではないだろう。

梶田美香(人間文化研究科博士後期課程修了生、名古屋芸術大学非常勤講師)

金子 力さん「空襲体験を記録する運動の歴史」

マンデーサロン 2012年7月23日(月)

講師: 金子 力さん(ピースあいち スタッフ)

テーマ:「空襲体験を記録する運動の歴史」

マンデーサロン今回は「空襲体験を記録する運動の歴史」と題して、ピースあいちスタッフの金子力氏よりお話を頂いた。金子氏は永らく中学校の教師をされていたということだが、教師の傍ら空襲や戦災の記録を残す運動をされてきたそうだ。

お話は、空襲、戦災を記録する運動の歴史を中心に展開され1945年終戦から60年代は空白の時代として、その記録を残す運動はほとんどされていなかったが、70年代に入りその活動はひじょうに活発となる。60年代までは、戦後GHQ占領軍に対する配慮もあったし、日本国民があの戦争を客観視できない状況にあったからではないかと説明された。しかし、1970年に「東京空襲を記録する会」という団体が立ち上げられてから、全国的にその運動は広がっていく。90年代に入ると、米国の情報公開が進み、記録の裏づけが可能となり、様々な新情報も表面化される。とりわけ注目すべきは、市民ネットワーク団体が米国側資料の入念な調査を実施し、新事実が明確になり、それまでの通説を覆し、新たな歴史のぬりかえが成されたということである。これを学者や専門家ではなく、市民団体が行なったことに大変意義があると思われた。マンデーサロン

また興味深かったことは、戦前米国は日本各地の都市の詳細を綿密に調査しており、来たるべく日米戦争に備えていたという事実である。この時の調査が米国にとって、後の日本空襲に有効なことになるのである。米国の徹底したその情報収集力には驚かされた。最後に、模擬原爆投下にふれられて、あまり知られていない空襲の実態を知らされた。

門池啓史(「市民学びの会」会員)

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