山田陽子さん,宮本佳範さん

マンデーサロン 2007年12月10日

テーマ:  「満州泰阜分村-70年の歴史と記憶 ―歴史から学ぶこと―」

講師: 山田陽子さん

山田さんは自分が編集委員として刊行された本『満州泰阜分村―70年の歴史と記憶』をもとに「歴史から学ぶこと」をテーマとして報告しました。報告は泰阜分村大八浪開拓団の旧満洲への入植、開拓団員の生活、終戦後の残留、そして日中国交正常化後に帰国した人たちに対して泰阜村が行った定着自立支援などについて詳細な説明が行われました。今度の報告を通して、私は初めて日本国民も被害者だという事実を深刻に認識し、当時の開拓団員の生活に関心を持つようになりました。報告によると終戦後、中国東北部の中国の住民は、戦い合った立場を超えて残留した日本人を受け入れ、助けました。戦争という残酷な歴史の中で、こういう人たちは既に日中友好の種を撒き始めたということに一番感動しました。また、満洲分村移民を送り出した責任主体として小さな泰阜村の堂々たる責任を引き受ける姿勢にも感心しました。

一言で言えば、今度の山田さんの報告は日本と中国との国際交流を深く考えさせる内容でした。山田さんの声がとてもきれいだったので、内容が重い報告でしたが、その声に参加者の皆さんは魅惑されたようです。私と山田さんは同じく成田先生の下で研究しているので、この本を完成するために、山田さんが何度も中国に行ってかなり詳細な研究を行ったことは知っております。『満洲泰阜分村―70年の歴史と記憶』は泰阜村の村史として刊行されましたが、泰阜村の歴史を通して日本と中国双方の歴史全般を覗くことができるし、日中友好の促進にも意義深いものだと思われます。そして、中国残留者問題への日本社会の注目を集め、戦争が残した問題の解決を促進する面でも大きな意義があると思われます。

朴香花(博士前期課程)

テーマ:  「H・ヨナスの思想に基づく自然保護教育」

講師: 宮本佳範さん

この度、初めてマンデーサロンに参加いたしました。宮本さんの「H・ヨナスの思想に基づく自然保護教育」論は、現在の環境ブームの風潮に自然保護教育の在り方を再考する提言として意義深いものでした。実は、私は宮本さんと同じゼミに所属していますので、宮本論の構築を傍で拝見しております。ゼミではヨナスの思想をはじめとする様々な思想を分かりやすい比喩を用い、口調は穏やかながらも熱く語る姿が印象的です。 今回は、「自然と触れ合うこと=自然保護教育」ではなく、自然保護につながる教育となりうるという根拠を理論的に考えていくひとつの例示という主旨でした。最後に、宮本さんの受賞式のスライドが数枚紹介されました。受賞記念品の紹介もあり、飾るに飾れないとのことで押入れに眠っているとのこと。その話で、それまでの難解な話から一気に和やかな雰囲気に包まれました。
発表者と参加者とが一体となってその場の空気を形作るようなあっという間の2時間でした。院生の参加は少ないようですが、自分の研究領域以外の発表は目から鱗の新鮮さがあります。毎月開催されているようですので、どうぞ皆様も一度参加されることをお勧めいたします。

大野裕美(博士前期課程)

久保田健市准教授「血液型性格論のホントのトコロ」

第6回  サイエンスカフェ 2007年11月18日(日)

テーマ:「血液型性格論のホントのトコロ」

講師:久保田健市准教授

サイエンス・カフェ
まずはこのような機会を見つけ、参加できたことがうれしかったです。自分が社会人になってから、2部の大学へ通っていた頃の、他の大人たちと一緒に何かを学んだり考えたりする空気に触れた気がして、始まるまでの緊張感と好奇心とでうれしくて仕方ありませんでした。とても楽しく2時間が過ぎていきました。時間があっという間に過ぎてしまってので、他の参加者の意見や感想などの交流する時間が少なくなってしまったことが残念でした。

血液型性格論というところでは、自分自身仕事の関係で一緒になった人としゃべっていて血液型の話になると、漠然とこうかなと思うとあたることが多々あるため、実際のところの何か因果関係があるのではないかと考えるようになりました。ただ、なぜその血液型はそうなのか、具体的に考えていくと生物学的なところに入っていき、血液と脳のそれぞれの機能と関連など、知らないことが多すぎて想像することもできません。そうしたときに、そもそも血液型ABOの分類自体について、血液の種類は4つの種類があると思っていたけれど、そう考えるのではなく「Aか、Bか、AとB両方あるのか、AとBどちらともないのか」と、すべての血液は、2種類の4分類と考えるんじゃないかと。
サイエンス・カフェ
そう考えたときに、すべての血液を2種類の4分類したものに対して、性格も同じように、すべての性格を2種類の4分類したうえで、血液型と性格との相関関係を考えなくてはいけないとすると、ではその性格の定義はなにか?というところが大事なのではないかと。そして性格をどう計るのかという問題も考えられます。 結局本人としては自分の性格をこう思っているけれど、周りから見たら「あなたこうでしょう」という
ところは十分考えられ、その周りの人の意識についてもその人がどうゆう性格意識をもっていて何と比較してその本人に「あなたはこうでしょう」と思ったか、までを含めて考えないと性格をうまく計ることが難しいといえるのではないかと。
ただそうまでして血液型と性格をつなげて、意味があるのかと考えると、結局ふだんの会話のネタ程度ぐらいしか意味がないかと思うと探究心も萎えてしまいます。逆に今回の話であったように、それによる差別や偏見などにつながるなら、そのままブラックボックスのまま「当たるときもあれば、はずれるときもある」でいいのかなと思いました。

服部 正(市民)

ランジャナ・ムコパディヤーヤ准教授 「日本の社会参加仏教 」

マンデーサロン 2007年10月22日(月)

テーマ: 「日本の社会参加仏教 」

講師:ランジャナ・ムコパディヤーヤ准教授

マンデーサロンまずは ランジャナ先生のエネルギーにあふれた熱のこもったお話ありがとうございました、また先生力作の書『日本に置ける社会参加仏教―法音寺と立正佼成会の社会活動と社会倫理―』に贈られた二つの賞の受賞おめでとうございます。そして毎々マンデーサロン運営にあたられる諸先生,スタッフの皆さんご苦労様です。マンデーサロンは私にとりましては、浅学を少しでも補うべく、絶好の機会と思い積極的に参加させて頂いております。前期は残念ながら、授業の関係で出席させていただくことができませんでしたが、後期はまた末席をけがさせていただきたいと思っております。
当日のサロンの内容である「社会参加仏教」についてでありますが、今私の研究テーマであります18世紀ヨーロッパの寛容思想とも少々関連あるテーマであり、興味深く聞かせていただきました。当日別所先生からも質問がありましたが、国家の義務としての福祉政策と宗教団体の慈善活動との関係をどのように理解していくのか? また教義の実践なのか?単なる道徳的意味合いから来る社会的弱者救済活動なのか?宣教活動が本当に裏側にはないのか? などまだすっきり理解できないところもあります。 近代民主主義国家において、普遍的思想に位置付けられる「政教分離」思想、またフランス国家の「(宗)教・教(育)分離」政策などと考え合わせ、宗教団体の持つ社会的パワーが無視できない強さがある限り今後深く検討しなければならないテーマと感じました。
最後にランジャナ先生への直感的質問で申し訳ありませんが、エンゲイジド・ブッディズムにおきましては、救済活動の対象者となる社会的弱者の出現原因、救済活動などの対処的なものでなく原因解決などはどのように捉えているのでしょうか?

服部篤睦(博士前期課程院生)

森田 明教授「詩人BENNの”詩と真実” -1933年のナチ加担について」

第5回 サイエンス・カフェ 2007年10月21日(日)

テーマ: 「詩人BENNの”詩と真実” -1933年のナチ加担について」

講師: 森田 明教授

サイエンスカフェ最初にコーヒーとケーキ・フルーツが運ばれ、司会者の講師紹介があり、本日のテーマ「1930年代のドイツの文化―異色の詩人ゴットフリート・ベン」について講義(というよりも分かりやすいお話)が始まった。

詩人ベンへの熱い思いを込めたお話が進むに連れて、まさにドイツ語で言うゲミュートリッヒカイト(Gemiitlich Keit)(くつろぎ・安らぎ)の雰囲気が漂う。文学でも門学・美術でも芸術家の作品は、その人の気質・性格、あるいは生い立ち・環境の影響を大きく受ける。エピソードを多く交えながら、詩人ベンの各作品とその背景が語られる。詩そのものよりも、まずこの詩人への関心が高まり、あとで具体的に彼の詩を読んでみようという気持ちにさせられる。ハイネ・ミラー・リルケらの抒情的詩人とは全く異なり表現主義的詩人と言われるベンについて、これは難解な話になるのでは、とはじめは予想していた。しかし、彼の作品に直接接したいという意欲がわき起こるのは、この催しに参加した意義を痛切に感じる。

サイエンスカフェ2時間でもまだ足りない。もっと参加者の質問・対話・議論の時間があるとさらに楽しいものになっただろう。
この催しも「市民学びの会」のどんな催しも、先生たちの研究内容を聴くだけでなく、自由な討議や交流がなされることも重要であろう。いずれにしても社会に開かれた大学として名古屋市立大学の益々の発展を願ってやみません。

寺岡信之(「市民学びの会」会員)

福吉勝男教授「<ドイツ国制の近代的改革とヘーゲル>、そしてベルリンの今」

マンデーサロン 2007年10月15日(月)

テーマ: 「<ドイツ国制の近代的改革とヘーゲル>、そしてベルリンの今」

講師: 福吉勝男教授

10月のマンデーサロンは、福吉勝男教授の「今日のヘーゲル研究とベルリン訪問」がテーマであった。

今回のベルリン訪問は氏にとって1994年の国際学会に参加以来の13年ぶりであったとのこと。ドイツの変貌、とりわけ東西ドイツの融合が進む中で、ベルリンの壁のみならず、生活の上でも制度の上でも壁が撤去され、融和が進んでいる状況が語られた。そのお陰で、今回の訪問の目的であったヘーゲル研究のための資料収集がとてもスムーズに行えたと言う。ドイツはいい方向に向かっているというのが氏の感想だった。

さて、今回の資料収集は「ヘーゲル国家論の謎」の解明のためだった。ヘーゲルの国家論は『法哲学講義要綱』に書かれているが、そこには謎が存在するのである。市民が市民の自覚をもって社会を形成し、その市民が市民社会を豊かに発展させるために国家を展望する姿と、それにふさわしい国家のあり方(機構・制度)を述べると言いながら、その国家論には不可解な点があって、市民の自治的・自主的活動の姿を「市民社会」論において最高に示しながら、「国政」論ではそれにふさわしいものとはせず、むしろこれに先立つ彼の国家理解から後退しているのである。この謎である。

この謎はどうして生じたのだろうか。現代のところは、政治反動を目の当たりにしてヘーゲルが自己規制をしたと推定されている。しかしこの推定は正しいのだろうか。今回のドイツ訪問は、ヘーゲルがベルリン大学の総長としてプロイセン改革に協力した相手の宰相のシュタインやハルテンベルクの国家改革構想の見解との対比で、この謎に迫ってみようということでなされたわけである。

シュタインのものでは、1807年9月の「ナッサウ覚書」、1807年10月の「10月勅令」、1808年11月の「都市条例」を、ハルデンベルクのものでは、1807年9月の「リガ覚書」を入手することが出来たと言う。翻訳をしてこの謎解明に努力したいとのこと。期待しよう。

久田健吉(同研究科研究員)

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