2015年5月23日(土)「戦後70年、今一度あの戦争を考える」

名古屋市立大学人文社会学部・大学院人間文化研究科「市民学びの会」は、2007 年 9 月に発足して幅広い活動を続けている。「学びたい市民」と「市民に学ぶ場所・機会 を提供する名古屋市立大学」を結ぶ市民主体の団体である。 5 月 23 日午後、名古屋市立大学滝子キャンパス 1 号館 201 教室で「市民学びの会」 恒例の企画が開催された。懐かしい教室には多くの参加者が詰めかけた。

今回のテーマ は「戦後70年、今一度あの戦争を考える」 である。 まず、ノンフィクション作家の大野芳 さんが「開戦前夜の近衛文麿」について 講演した。話の始まりは「貴公子近衛文 麿」であり、2・26 事件から近衛内閣の 誕生、日米交渉と御前会議、開戦へと続 く。短い時間の講演のなかで、大野さん 独自の「史観」も披露され、多くの論点 を提起する講演であった。

その後、大野 さんと当会代表理事の門池啓史さんとの対談となり、講演で提起された論点がどのよう に深められるか期待して耳を傾けた。 対談のテーマは「開戦直前の日米関係」である。配布資料の年表やキーワード解説も 交え、ハルノートや太平洋戦争勃発に至る経過がいくつかのエピソードの紹介を含めて 議論される。近衛文麿や松岡洋右、木戸幸一などの「人物像」、開戦前夜から日米開戦 に至る経過など、二人の見解、「史観」は異なるところも多かった。議論がかみ合わず、 それが対談を面白くもさせていた。見解の相違は当然として、企画の趣旨がもうひとつ 分かりにくかったことが、「辛口コメンテーター」として残念であった。

戦後 70 年、今一度あの戦争を考えること、悲惨な戦争に至る歴史を振り返ることは、 大切な課題であるのは言うまでもない。門池さんは「もう一度学ぼう太平洋戦争への道」 というテーマで、市民学びの会「戦争シリーズ」を続けてきた。今回の講演と対談は、 その一環として企画されたようだ。なぜ太平洋戦争に至ったのか、戦争を防げなかった のかを、隠された資料を発掘し、歴史的事実を明らかにすることは重要な課題だ。その 際、戦争をどのように評価するか、「戦争史観」が問われることになる。講演や対談で、 この点があいまいなまま議論されたのに、いささか違和感をもった。 大野さんが講演のなかで「長州がキ―ワ―ド」と繰り返していたのが印象深い。戦後 70 年、戦後政治とりわけ戦争との関わりを考えると、岸から安倍へと「長州」が再び 注目を集めているようだ。この点を含めて質問しようとしたが、つい遠慮してしまった。

(2015 年 5 月 25 日 山田明名誉教授)

2015年5月23日(土)第9回総会・記念講演

日時 :5月23日土曜日 14:00~16:00(総会 13:30~14:00)

場所:滝子キャンパス1号館 2階201教室

講演会 / 対談:「戦後70年、今一度あの戦争を考える」

講師:大野 芳(おおのかおる)氏(ノンフィクション作家)

日本人310万人、アジア諸国の人々数百万人が亡くなったあの大戦はなぜ勃発してしまったのか。なぜ開戦せざるを得なかったのか。戦後70年を経た今、従来言われている開戦までの定説を再考したい。講演会では、開戦直前の首相であった近衛文麿の再評価をする。門池啓史氏との対談では、開戦直前の日米関係の動向を中心に進めたい。

14時~14時40分 講演会
「戦後70年、今一度あの戦争を考える-開戦前夜の近衛文麿-」 大野芳氏
14時40分~16時 対談、質疑応答
「戦後70年、今一度あの戦争を考える-開戦直前の日米関係を探る-」 大野芳氏、門池啓史氏

資料代:300円 事前申込不要

講演会詳細PDF>>

2013年6月2日(日)第7回総会 記念講演:伊藤 恭彦教授「さもしい人間の政治哲学」

本年度の「市民学びの会」総会 の記念講演は、本学人間文化研究 科の伊藤恭彦教授(政治哲学)を 講師にお迎えして開催された。伊 藤教授の講演は、昨年同教授が上 梓された『さもしい人間―正義を さがす哲学―』(新潮新書)で扱わ れたテーマ、すなわち「新しい、よ り良い社会の実現に向けて、私た ちはどのような政治を選択すれば よいのか」をめぐるものであった。
伊藤教授は、時にユーモアを交 えて会場から笑いを取りながらの 絶妙の語り口で、きわめて高度の 難解な内容を、分かりやすく具体 的な事例を挙げながら議論を展開 され、聴衆の心を完全につかんで しまった。あっという間に時間が 経過して講演会に参加した市民の 方々は大きな感銘を受け、会場を 後にされたことと思う。(村井忠正)
「市民学びの会」

2012年5月27日(日)第6回総会 記念講演:服部幸造(同大学人間文化研究科元教授) 片山氏による琵琶演奏

5月23日(日)、「市民学びの会」平成二十四年度総会の余熱を保ったまま、記念講演に移っていった。 ところで、今年は大河ドラマ『平清盛』があって、書店には源平関係の本が平積みにされていた。そこで、今回は、「市民学びの会」講演は、『平家物語』(以下『平家』とする)についての講義と琵琶の弾き語りの演奏で、本物の『平家』に触れてもらうことを企画してみた。

まず『平家』であるが、栄華を奢る平家が、頂点の福原遷都、清盛の悶絶死をへて、源義経に追われ、壇ノ浦に敗走し、海の藻屑と消えた、敗残の悲哀を描いた軍記物である。無常観を湛え、スケールの大きい、これぞ代表的国民文学である。そして、この物語を広めていったのが、小泉八雲『耳なし芳一』のように、全国を弾き語り流浪した、盲目の琵琶法師たちであった。
市民学びの会第一部の講演は、「『平家物語』と琵琶」と題して中世口承文芸の研究で多くの功績をおもちの、服部幸造本学元教授にお願いすることとなった。
目の不自由な法師たちが、長い物語を暗誦できるまでに積んだ徹底した修行や、検校や座頭といった厳格な階層組織について、また、九州で最近まで民家の竃祓いや遊芸についていた、筑前・薩摩の琵琶法師のことを紹介してくれた。そして、名古屋と『平家』に関連して、瑞穂区妙音通が、『平家』に登場する琵琶の名手「藤原師長」の、流刑地尾張での居所に由来することなどを、その語り口はまるで講談のようで、終始わくわくしたレクチャーであった。「市民学びの会」

第二部は、気鋭の筑前琵琶奏者片山星旭氏の弾き語りである。いきなり強烈な琵琶の弾き音と「祇園精舎の鉦の声…」の謡いで始まった。そして『那須ノ与一』。空に舞う扇を射る小気味のいい興奮を軽快なバチさばきで。次に一人残った、安徳天皇の母建礼門院を大原に訪ねる後白河法皇と女院の最後を描いた『大原御幸』を、太くときには高らかに歌い、激しさから静けさに転移した琵琶の音が、戦いの悲哀をうまく出していた。 有意義な質問も出してもらった、五十名の聴衆をしっかり引きつけたひとときであった。

(城)

2011年6月5日(日)第5回総会 記念講演:上野千鶴子さん 「不惑のフェミニズム」

市民学びの会も設立5年目となった今年、幸いにも上野千鶴子さんに講演をお願いできることになった。

フェミニスト、社会学者として高名な上野さんだが、最近は「おひとりさまの老後」の著者としてつとに有名だ。今回は男性版おひとりさまの指南書「男おひとりさま道」をベースに講演をお願いすることに決定した。ところが理事会で学習会を重ねるうちに、せっかくの機会だからおひとりさまの考え方の基本であるフェミニズムを語っていただきたいと意見が一致。ずうずうしくも内容の変更をお願いすることとなった。「市民学びの会」

時は3月、上野さんの東大での最終講義があの東日本大震災の影響で中止となった直後のこと。今回の講演会タイトル「不惑のフェミニズム」は、そこで使われる予定のものを譲っていただいたことになる。 130名余りの参加者を前に、ウーマンリブ、女性学、ジェンダー概念を説き、ジェンダー研究の成立は新しい研究課題の広がりをもたらし、経験の言語化をとおして当事者研究が誕生したと上野さん。学問の「客観・中立性」への疑問をつきつめながらのよどみない語り口にあっという間の90分だった。学生から中高年まで、幅広い年齢増の参加者だったが、 各々が「自分のフェミニズム」を見つめ、考える機会にしていただけたことと思う。(重原)

「市民学びの会」

2009年4月26日(土)第三回総会 記念講演:小川仁志氏「学ぶ楽しみ、市民活動、時々哲学」

小川仁志氏のBLOGより引用
学ぶ楽しみとは(2009年4月27日)<< 作成日時 : 2009/04/28 00:58 >>
先週末、名古屋市立大学で講演をしました。「市民学びの会」という、大学と市民の間に立って学びの機会をコーディネートする団体が主催したものです。
演題は「学ぶ楽しみ、市民活動、時々哲学」。とくに会の趣旨に鑑みて、学ぶ楽しみを中心に話をしました。私が考える「学び」とは、単に知るだけでなく、考え、表現し、分かち合うという四つのプロセスをすべて含みます。
そして、これらすべてを実現するのに一番適している場が大学なのです。決して大学生や大学院生になるべきだと主張しているのではありません。大学をインフラとして活用しようということです。
その意味で、「市民学びの会」のような大学活用をコーディネートしてくれる団体があるのは素晴らしいことです。一般市民にとって大学は別世界ですから。図書館や公開講座など、どんどん活用して、大学を開かれた学びの場にしましょう!

「市民学びの会」小川仁志さん

2007年11月18日(日)シンポジウム 記念講演:成玖美准教授「学ぶということ」

「市民学びの会」発足と今後に向けて

人間文化研究科 山本明代准教授

2007年9月に設立総会を行い、「市民学びの会」が本格的に活動を始めた。11月18日には市大祭に合わせてシンポジウム「『学ぶ』ということ」を開催し、成玖美先生の生涯教育についてのご講演とともにパネラーとなった本研究科社会人大学院生を中心に学びの経験とその意義・思いを交換する貴重な機会をもつことができた。

開催にあたって市民学びの会の活動が新聞で報道されたことにより、男女を問わず、幅広い世代の市民から多くの反響があった。講義形式の受身の学習では飽き足らないという意見や学びの友や知的交流を求める声が多く寄せられたことによって、大学において市民の学びの場を創ること、大学を市民に開くことの意義を会のメンバーと改めて考えている。

今年2月に担当者として発足の準備を始めた「市民学びの会」は、多くの方々の協力を得て、今や自律的な組織として動き出している。会員も徐々に増え、11月から哲学・自分史・英字新聞・子育ての各サークル活動も開始した。人間文化研究所や本研究科教員が主催する各種講演会・シンポジウムにも多くの会員が参加するようになり、すでに双方向の関係を形成する基盤も創られ始めている。今後ますます会が発展し研究科との連携・協力関係が進むことを心より願っている。

「市民学びの会」

2007年9月30日(日)設立総会 記念講演:村井忠政名誉教授「私にとって生きることは生涯学び続けることでした」

祝! 市民学びの会設立 人間文化研究科

有賀克明教授

名古屋市立大学人文社会学部・大学院人間文化研究科に、自主・自立の市民学習グループ、「市民学びの会」が発足したことを、心から喜び、またお祝い申し上げます。
灯火親しむ候の9月末日、学びの会が正式に立ち上がったわけです。その折のご挨拶でも触れましたが、具体的な準備に入ってから半年以上にわたり、設立準備会の皆さんには、ほんとうにご苦労様でした。

私自身は、最後の準備会のみ覗かせていただきました。学びの会の発足のために文字通り手弁当で準備に心血を注いでくださっている方々は、もちろん所属も趣味も年齢も生き方も相当バラバラなのでしょうが、どなたもが知の刺激にとりつかれ、学びの魅力に引き込まれているという点では大同小異。そういう集団のそれぞれの方がご自分の得意手を生かして仕事を分担されているこ市民学びの会設立総会とがとてもよくわかりました。
準備作業を進めている人間文化研究所にはなんとも気持ちのいい雰囲気が流れていて、私も久々にワクワクした気持ちで心楽しい時間を過ごしました。これなら学びの会は間違いなくうまくいくなと確信したものです。

教員側で世話役を務めてくださっている山本先生も、情熱的に、そして綿密にこの会の立ち上げに奮闘してこられました。彼女の献身がなければ、大学と市民とのこういう形での連携・連帯は生まれなかったのではないでしょうか。心から感謝します。

さて、9月30日に本格発足したこの市民学びの会。さっそく当日参加の十数名の方々が 会員として本登録されたと聞きます。順調な立ち上がりです。小さく生んで大きく育てる。これがいいですね。具体的な学習活動があれこれ始まればどんどん参加者は増えるのではないでしょうか。

もちろんでっかく育てること自体が目的ではありません。でも、できるだけ広く、多様な市民の皆さんに自主・自立の自己学習の場に参加していただくことで、名古屋の地に一大生涯学習運動とでもいうべき「場」ができれば、それはなかなかすごいことだと思います。お上から組織されたものではなく、学習要求のある者が自ら学習を組織する、そういう「場」として成長してほしいなあと心から願います。そのために名古屋市立大学がお手伝いできることをとってもうれしく思うのです。そんな意味で、お互いに手をたずさえてがんばっていきましょう!

「市民学びの会」