アユチ雅楽会代表 渡邊良永
やっとかめ文化祭
連携協定集結記念イベント
指定の経緯と催馬楽桜人保存会
催馬楽は雅楽の一種である。「桜人」は、名古屋市内の地名(作良郷/現在の名古屋市南区桜台・桜本町・元桜田・霞町あたり)が歌詞に登場する催馬楽の一曲である。「桜人」は、平安期に盛んに歌唱・演奏され、室町期に廃絶したが、昭和三十一年(一九五六)に名古屋で復興された。羽塚堅子(名古屋市中区魚山寺開山/中部日本雅楽連盟)と平出久雄(雅楽研究家/長野県佐久市在住)が中心となり復興作業が行われた。
「桜人」は、名古屋市指定無形文化財となっており、保持団体は「催馬楽桜人保存会」である。保存会の運営母体は、復興時には中部日本雅楽連盟(真宗大谷派・東本願寺系の雅楽団体)であったが、その後、雅音会(天理教系の雅楽団体)に移行し、現在に至っている。
「桜人」は、名古屋の民謡が宮廷社会の中で大陸伝来の音楽の様式で編曲され、主に平安京で歌唱・演奏された催馬楽である。平安期から名古屋で伝承されてきた曲ではないことには、注意が必要である。
普及・伝承のための新たな取り組み
現在、催馬楽桜人保存会では、名古屋市立大学の阪井芳貴教授が顧問として指導する学生サークル「名古屋市博物館サポーターMAR0」と市民学びの会「アユチ雅楽会」との連携により、普及・伝承のための取り組みを行っている。具体的には、保存会の演奏に学生と市民が歌唱で参加するコラボレーションである。この取り組みは、保存会と阪井教授の合意のもと、平成二十八年(二〇一六)よりスタートした。
三団体によって行われた主なコラボレーションは、次のとおりである。
◎平成二十八年(二〇一六)十一月六日 やっとかめ文化祭 まちなか寺子屋 講座「初めての雅楽」〈会場/名古屋市博物館〉
◎平成二十九年(二〇一七)十月二十一日 第六三回名古屋まつり 郷土芸能祭〈会場/オアシス21〉
◎平成三十年(二〇一八)十月二十日 第六四回名古屋まつり 郷土芸能祭〈会場/オアシス21〉
◎平成三十年(二〇一八)十一月四日 地域伝統芸能全国大会〈会場/日本特殊陶業市民会館〉
◎令和元年(二〇一九)十月十九日 第六五回名古屋まつり 郷土芸能祭〈会場/オアシス21〉
◎令和二年(二〇二〇)十二月二十三日 名古屋市立大学×名古屋市文化振興事業団 連携協定締結記念イベント~withコロナ時代の劇場と地域文化~〈会場/瑞穂文化小劇場〉
◎令和四年(二〇二二)十月十五日 第六八回名古屋まつり 郷土芸能祭〈会場/オアシス21〉
催馬楽「桜人」の歌詞
「桜人」の歌詞は、一段が夫の言葉、二段が妻の言葉という、男女の唱和体(問答歌)になっている。
一段の歌詞/夫の言葉
桜人 その舟止め 島つ田を 十町つくれる
(さくらびと そのふねちぢめ しまつだを とまちつくれる)
見て帰り来むや そよや 明日帰り来む そよや
(みてかえりこむや そよや あすかえりこむ そよや)
二段の歌詞/妻の言葉
言をこそ 明日とも言はめ 彼方に 妻去る夫は
(ことをこそ あすともいはめ をちかたに つまさるせなは)
明日も真来じや そよや さ明日も真来じや そよや
(あすもさねこじや そよや さあすもさねこじや そよや)
名古屋で民謡として歌われていた頃は、「桜人」の桜は地名の作良郷(松巨島/現在の笠寺台地にある)であり、「桜人」は「作良郷に居住する人(船頭)」という意味であった。
名古屋の民謡が宮廷社会に採り入れられ、平安期に平安京で宮廷歌謡(催馬楽)として歌唱・演奏されるようになってからは、「桜人」の桜は花木の桜であり、「桜人」は「桜を見る人、桜を愛でる人」、更には「花人、美人、麗人」(女性への最大級の賛辞)という意味に変化していった。
名古屋の民謡としての歌詞解釈は次のとおりである。
一段の歌詞解釈/夫の言葉
作良郷の船頭さん、その舟に乗せてくれ(を止めてくれ/を進めてくれ)
わたし(夫)は島(松巨島/現在の笠寺台地)の田を十町ほど作っている
その田を見まわって帰って来るよ ソヨヤ
明日には帰って来るよ ソヨヤ
二段の歌詞解釈/妻の言葉
あなたは言葉(口先)でこそ、明日と言うのでしょう
遠方に、わたし(妻)から去って向こうに行くあなた(夫)
明日も本当は来ないでしょう、ソヨヤ
明日(明後日)も本当は来ないでしょう、ソヨヤ
平安京の宮廷歌謡(催馬楽)としての歌詞解釈は次のとおりである。
一段の歌詞解釈/夫の言葉
麗しい人よ(と女性を想って歌い、そして船頭に声を掛ける)
その舟に乗せてくれ(を止めてくれ/を進めてくれ)
わたし(夫)は島の田(海辺の田)を十町ほど作っている
その田を見まわって帰って来るよ ソヨヤ
明日には帰って来るよ ソヨヤ
二段の歌詞解釈/妻の言葉
あなたは言葉(口先)でこそ、明日と言うのでしょう
向こう方にも、他の妻がいるあなた(夫)
明日も本当は来ないでしょう、ソヨヤ
明日(明後日)も本当は来ないでしょう、ソヨヤ
「桜人」は、名古屋の民謡としての歌詞解釈、平安京の宮廷歌謡(催馬楽)としての歌詞解釈に関わらず、収穫に先立つ夫婦の問答歌という縁起の良さを持っている。「桜人」の歌唱・演奏には、五穀豊穣と子孫繁栄の予祝としての意味合いもあったと考えられる。
(1)羽塚堅子『桜人考』(魚山寺、一九七五)
(2)平井久雄『山井景昭氏雅楽蔵書目録』東洋音楽研究第九~一三号(一九五一~五四)
(3)蒲生美津子『林謙三先生と平出久雄先生のこと』東洋音楽研究第四八号(一九八三)
(4)伊藤嘉宏『星の笏拍子』(一九九五)
(5)藤原茂樹『催馬楽研究』(笠間書院、二〇一一)
(6)新編日本古典文学全集『神楽歌・催馬楽・梁塵秘抄・閑吟集』(小学館、二〇〇〇)
(7)木村紀子『東洋文庫七五〇 催馬楽』(平凡社、二〇〇六)
(8)佐佐木信綱監修・賀茂百樹増訂『増訂 賀茂真淵全集 巻十』(吉川弘文館、一九三〇)
(9)武田祐吉『岩波文庫 神楽歌・催馬楽』(岩波書店、一九三五)
(10)現代用語の基礎知識編集部『日本のたしなみ帖 桜』(二〇一五)
(11)角川日本地名大辞典『愛知県』(角川書店、一九八九)
(12)日本歴史地名大系『愛知県の地名』(平凡社、一九八一)
(13)日本地名大辞典『第四巻』(日本図書センター、一九九六)
(14)吉田東伍『増補 大日本地名辞書 第五巻 北国・東国』(冨山房、一九〇二)
(15)吉田茂樹『日本地名語源事典』(新人物往来社、一九八一)
(16)佐伯有清『新撰姓氏録の研究 考證編 第二』(吉川弘文館、一九八二)
(17)中根洋治『愛知の地名 海進・災害地名から金属地名まで』(風媒社、二〇一二)
(18)片山鍾一『七千年の生活の歴史が残る 松巨島』(二〇〇二)
(19)新修名古屋市史編集委員会『新修 名古屋市史 第八巻 自然編』(一九九七)
(20)名古屋市南区役所『南区誌 区制七十年の歩み』(一九七九)
(21)名古屋市見晴台考古資料館『研究紀要第五号』(二〇〇三)
(22)名古屋市見晴台考古資料館『特別展 なごやの遺跡~笠寺台地』(二〇〇二)
(23)名古屋市見晴台考古資料館『見晴台遺跡ガイドブック(第2版)』(二〇一五)
(24)楢崎彰一編『東海考古の旅 東西文化の接点』(毎日新聞社、一九八九)